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戦前より、自身が住む村の風土を中心として撮影しつづけた写真家・熊谷元一についてのモノグラフが出版された。『写真家・熊谷元一とメディアの時代 昭和の記録/記憶』(青弓社)がそれである。著者の矢野敬一氏は民俗学の専門家であるとのことだが、農村の風土をテーマとしてきた写真家についての書物としては、格好の著者を得たというべきであろう。この書物には、いわゆる「写真家」の「作品」に対する美学的考察はほとんど一つもない。それは著者の専門領域がそもそも目指す必要のない要素でもあろうが、熊谷の写真について考えるためには、写真に対する美学的態度はひとまず留保すべき態度でもある。そのことは後に述べるとして、まずはこの特異な写真家の概要を、振り返っておこう。
1909年に生まれ、現在も健在であるという童画家・写真家の熊谷元一(くまがい・もといち)は、1930年代より小学校の代用教員を務めながら、『コドモノクニ』に投稿した童画が武井武雄[註1]に認められることをきっかけとして、童画家としての活動をはじめる。一方、赤化教員とみなされ、教職を追われたりしながらも、自らの村を記録するという目的で撮影活動を開始する。その写真は美術評論家の板垣鷹穂に認められ、1938年には朝日新聞社から写真集『會地村
一農村の冩眞記録』を出版する。驚くのは、1936年に自身のカメラを購入してから、たった2年で写真集の出版まで漕ぎ着けたということだ。この写真集の刊行は、出版当時から高い評価を得、現在も熊谷の代表作の一つとして位置づけられている。注意すべきは、熊谷はプロフェッショナルの写真家として活動を続けたのではなく、あくまでアマチュアというスタンスを維持していることである。しかしそれは、日本の写真史そのものが示すとおり、また、現在に至る熊谷に対する評価そのものが示すとおり、一義的にプロとアマチュアの腑分けが可能なわけではなく、アマチュア写真家というスタンスが、趣味的な愛好家の域を用意に越えることはしばしばであり、熊谷もそれに例外ではないことは注意しておく必要がある。
次に写真家としての熊谷の活動が表面化するのは、戦後を迎えた後である。主要な写真集は、『かいこの村』(1953年)、『農村の婦人 南信濃の』(1954年)や『一年生 ある小学教師の記録』(1955年)といった、『岩波写真文庫』に収められたものである。とりわけ『一年生』に関しては、近年再編集を加えた書籍[註2]が刊行されていることが証明するように、熊谷の最も良く知られる写真集である。これら『岩波写真文庫』における刊行は、名取洋之助が熊谷の写真を評価したことが大きかったようである。以上に留まらず、熊谷の写真活動は近年も継続的に取り組まれている。
[註1]武井の童画家としての仕事に関しては、以下の書物で概観できる。『武井武雄 空想への誘い展』茨城県近代美術館、1999年。
[註2]熊谷元一『なつかしの小学一年生』河出書房新社、2001年。
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