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12月にもなり、2005年の美術を振り返る記事が、新聞紙上でもちらほら目につくが、国内のトピックたる展覧会として、「もの派―再考」をその一つとして挙げることに、異論は少なかろう。展覧会そのものも、その評価に値する充実したものであった。今回の「もの派」の回顧展は、1995年に全国を巡回した展覧会[註1]から数えれば、約10年ぶりということになる。重要な歴史的動向として、特に評論家の峯村敏明によって積極的に評価されたのが1980年代中頃[註2]だとすると、ほぼ十年ぶりの周期が、今年に入って巡ってきたというわけである[註3]。
時代の周期性はさておくとして、展覧会の内容に話を移そう。まず、この展覧会において、何が「再考」されているのだろうか? 注目すべき「再考」点としては、当時の美術集団「幻触」の作家たちが、今回の出品作家に名を連ねていることである。「幻触」とはいかなる集団であるのか、そして、このグループが今回の展覧会において扱われているコンテクストはどのようなものであるのか、簡単に説明しておこう。このグループは、1966年に静岡を中心として結成された前衛作家の集団である。グループの理論的主柱となった評論家の石子順造が、このコンテクストでのキー・マンとなる。石子は、同じ評論家の中原佑介とともに、1968年、東京画廊と村松画廊において、「Tricks
& Vision展 盗まれた眼」を組織する。さらに遡れば、この「Tricks & Visions」には明確な源流がある。それは、高松次郎の「影」の絵画と、それを受けて書かれた中原によるテクスト「影と神秘の画家たち」[註4]である。ここでの「影」とは、高松の逆遠近法を用いた立体作品などと同様、「見る」ことの制度を問い直す作業において要請されたテーマである。中原のこのテクストは、石子や宮川淳を巻き込みつつ、ある言説空間を一時期において形成したが、これは、絵画や彫刻といった伝統的な制度的枠組の相対化を受けての、時代的必然性をもってもいた。中原のテクストに象徴的なこの種の議論は、石子においては既に数年前から組織化されつつあった静岡の前衛美術集団の指針として、すなわち「幻触」という集合を生んだ。作品としては、「見る」ことの観念を絵解きしてみせるような作品が多く、ルネ・マグリットを思わせるような記号操作や、「だまし絵」的作品によって特徴付けることができるであろう。一方では、メンバーの小池一誠の石を使った作品のように、後の「もの派」の作品を彷彿とさせる先駆的な仕事も、このグループに含まれる。
先の「Tricks & Vision」は、高松は勿論であるが、「幻触」のメンバーや、後に「もの派」の代表的な作家になる関根伸夫の初期作品が出品されたことにおいて、重要な意味をなす。この展覧会のタイトルがそのまま示すように、高松〜幻触の系譜にある、視覚的「トリック」を通した「見る」ことの制度がそのテーマであり、これは一般的な「もの派」に対するディスコース(とりわけ、この展覧会から数年後に展開された、李禹煥のそれであるが)である、現象学的な「もの」の立ち現れを作品によって記述するという態度、つまりは、存在論的な作品規定とは異なる態度が、当初の動向には見られたということだ。このことは、李や菅木志雄の最初期の作品にも現われている傾向であるが、このような「読み」の文脈に従うならば、後に「もの派」の典型的作品であると目されるところの、関根伸夫による<位相―大地>もまた、円筒形の形態が、雌型と雄型とに分離されるというまさに「だまし絵」的作品として、見ることを促されるのである。作品を読む端緒に、「幻触」という文脈が置かれると、当時の複雑な人的ネットワークが意味あるものとして見えてくるであろう。例えば、李と石子の最初期における関係や、多摩美術大学の斎藤義重スクール周辺における「もの派」の作家たちと高松次郎との関係、そして「影」への注目から「もの派」のひとつの到達点である「東京ビエンナーレ」[註5]に到るまで一貫して関わる、中原佑介という存在の関わり、等々である。このような従来とは異なるコンテクストを担うのが、今回の展覧会の冒頭で展示された「幻触」の作品群であり、そこがこの展覧会の特質であるのだ。
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