home documents shop link off the gallery
 
 

[1/5pages]

 銀塩写真の終わりが囁かれ始めて久しい。デジタルカメラのマーケットシェアは、旧来の光学式カメラのそれを上回り、早晩駆逐し去ることは、もはや止めようもない。単体のデジタルカメラのみならず、CCDはモバイル機器のほとんどに標準装備され、数年前には誰もがそう感じたような珍しさをもって、それを見る者はいなくなった。カメラ付きの携帯電話でさえも、既に単体のそれに劣らぬ画素数を持ち、今やカメラ付きの携帯電話なのか、携帯電話付きのカメラなのかを区別することすら馬鹿馬鹿しいほどである。デジタルカメラが身近になり、誰もが撮影行為をする昨今、写真美学、写真批評の領域においても、その認識の枠組みを再考せざるを得ない地点に逢着している。

 飯沢耕太郎が去る1月末に上梓した『デジグラフィ デジタルは写真を殺すのか?』(中央公論新社)は、そのような現況において、待望の書物である。個別的な写真による表現の観点から、デジタル写真、あるいはデジタルイメージに関して述べられた書物は、これ以前には(少なくとも日本においては)存在しなかった。自身の表現を、デジタルカメラに特化して行う作家が、既に少なからず存在している現在、飯沢らしい着眼の素早さは、さすがである。ただ、その内容が時事的であるという宿命上、数年後には古びてしまうであろうこともまた、事実である。そのため、この書物を読む者に求められることは、ここに書かれている事項の全てをすぐさま理解し、そこから派生する新たな思考を生産することである。そしてまた、そのような思考様式こそ、非物質的なデジタル写真の速度に似つかわしいだろう。本稿では、この書物で提出された枠組に概ね沿いながら、逸脱も含めて述べてみようと思う。

→next

| site map | access | contact |
Copyright (c) 2001- photographers' gallery, All Rights Reserved.