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2005/10/31

 

大島洋編『写真に帰れ――伊奈信男写真論集』

■書籍データ
* 単行本: 394 p
* 出版社: 平凡社 ;
 ISBN: 4582231144 ; (2005/10)

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大島洋編『写真に帰れ――伊奈信男写真論集』平凡社


 「芸術写真」と絶縁せよ。そう述べて写真の独自性を主張したのは、1932年のことだった。伊奈信男の名前とともに語られる論文「写真に帰れ」は、当時隆盛した絵画模倣の写真動向、いわゆる「ピクトリアリズム」への批判として書かれた。日本におけるもっとも古い写真批評のひとつであり、伊奈の最初の写真論でもある。伊奈はこの論文を写真雑誌『光画』創刊号に掲載し、それ以後西洋美術史研究から一転、写真批評の道へ本格的に乗り出すのだが、「写真に帰れ」を含めその全貌は現在までほとんど知られることのないままだった。もちろん伊奈は戦中戦後も継続的に批評・エッセイ等を書き続けていたし、対談や座談会も精力的にこなしていたのだが、その活動が書籍にまとめられたのは、死の直前に出された写真家論『写真 昭和五十年史』(朝日新聞社)のただ一冊のみである。紫綬褒章や文化勲章を受章し、自らの名を冠した賞まで設けられた批評家の著作が、これまで特に紹介されることがなかったのは少し意外にすら思える。このたび出版された『写真に帰れ――伊奈信男写真論集』はその意味で意義深い。

 本書は1930年代から晩年にいたる伊奈の批評活動を通して読むことができるのだが、一読する限りその文章は驚くほど論理的で、曖昧な詩情はほとんどない。論理的、というのは文章の構成以上に、30有余年の批評活動においてその主張が一貫している点でも論理的なのだ。晩年に書かれた回想録を読むと50年代半ばに登場する「主観的写真」をうけて多少のゆらぎがあったと述べられているものの、それでも伊奈の主張は大枠において変わることはない。それゆえに、と言うべきか、戦後の様々な動向を生み出していた若手の写真家たちを多少の批判を交えつつ見守るという態度になったのかもしれない。しかしそれは研究者としての、事態を静観するという反省的態度のように今ではうつる。

 伊奈信男の主張、それを一語で示せと言われれば、「報道写真」ということになるだろう。この語は今でさえ普通名詞として通っているが、「Reportage-Foto」の訳語として伊奈がつくった言葉である。だがこの語には単に新聞に掲載されるようなニュース写真のみを意味していない。その経緯は『光画』に載せられた一連の論文をたどることで明らかとなってくる。「写真に帰れ」では、絵画に追従するピクトリアリズムに代わって写真の独自性を主張した、と先に述べたが、その独自性を考察する上で、当時の写真を三つに分類している。@客観的に対象を撮影する写真(A・レンガー=パッチュなど)、A生活の記録としての写真、B「光の造形」としての写真(R・モホリ=ナギやマン・レイなど)。こうした三様の写真の欠点をそれぞれ批判しつつ、最終的に写真の独自性は「機械性」と「社会性」であるとしている。これは一方で客観的かつ造形的な技術の「形式」を指しており、他方では印刷による大量生産、そしてイメージの強力な影響力を利用して大衆にメッセージを伝達する役割、つまり「内容」の意である。この両者を適切な素材を用いて表現することで、写真は新しい芸術になりうると伊奈は考えた。だからこそ単純なリアリズムにではなく、「報道写真」に力点を置いたのである。

 この形式と内容の「弁証法的発展」というマルクス主義的芸術論は、『光画』に集う同人たちにも共有されていたようだ。映画評論家、思想家の中井正一はこの雑誌に二度ほど短い文章を寄せているが(「うつす」〔第一巻三号〕、「壁」〔同四号〕)、彼の映画理論もまたマルクス主義芸術論の影響を受けてその「機械性」を重視していたし、『光画』に写真を掲載した写真家、堀野正雄や美術史家・美術評論家の板垣鷹穂を含めた三人はともに『機械芸術論』(天人社)を著している。こうした傾向の背景には、主観と客観という二つの立場が相互で対立し、危機的状況となっていた1930年代という時代性がその背景にあるだろう。目まぐるしく発展する科学技術は人間の外部認識を拡張させ、客観性は異常なまでに増幅した。だが一方で人間の主観もまた疎かにされてはならないとする危機意識が起こるのは至極当然のことだろう。伊奈はこの状況を鑑み、両者に調和的融合の呼びかけをおこなった。そこで登場するのが「報道写真」である。

 『光画』休刊後に創設された「日本工房」のパンフレットでは、簡単だが「報道写真」の特徴が述べられている。「写真が主で、文字の説明が従であり、しかも意識的に、ある意図の下に組み合わされたいわゆる「組写真」にして、はじめて種々なる事象の全貌を明確に表現し、報道しうるのである」(本書93頁)。この「組写真」の指摘は、写真の客観性に写真家および編集者の主観(キャプションや写真相互の配置の操作)が導入されて完成される「報道写真」の一例を示している。しかしこの時点ではそれほど精緻に論が展開されているわけではない。組写真はそれだけ編集者の意向が強く押し出されることになるし、名取洋之助への反発はこのことに端を発しているようである。また客観と主観の弁証法的発展というテーゼも、論旨がもつダイナミズムでいえば随分と素朴にさえ感じられる。むしろ「報道写真」論を含めた写真批評は、戦後の写真分析において結実しているだろう。初期である戦前の論考を原案とすれば、戦後の写真論はその発展であり、写真家論はいわば実践的な具体例となっているのである。

 戦後の伊奈の著作活動は50年代の写真ブームに乗って激増する。巻末の書誌データを見ると書評から画家やグラフィック・デザイナーとの対談まで、その範囲の広さが伝わってくる。ちなみに本書の成果はこの書誌データにこそあるだろう。膨大な量の資料に付されたインデックスは原義にあるように「指し示すもの」であり、それは写真の性質に酷似してもいる。そして伊奈が担った批評という立場も写真の動向を指し示す水先案内人であることを思えば、伊奈の活動を振り返る意味でなにか考えさせるものがある。

 1952年に書かれた「写真的表現の特質について」では、先に採り上げた「報道写真」の要素である「機械性」の具体的内容として、次の三つの特質が述べられている。つまり第一に、見ることと写すこととがほぼ同時に行われるというスピードの要素(迅速性)であり、第二にはディティールやテクスチャーなど、写真現像時における表現が別のジャンルに比べ極めて精緻で正確である(精密性)こと、そして第三にあげられるのは、光による階調表現の多様さ(グラデーション表現の可能性)である。この三要素は、言ってみれば客観的な写真素材の側面が分析されているだけで、被写体やその状況には直接関係するわけではない。もちろん伊奈もこの分類後にそれらが基準・尺度であって、「価値の評価を含んでいるものではありません」と読者を諌めている。

 では写真を撮ること、あるいは写真を見ることはいかにしてなされるのか?伊奈はいつもこの問いに苛まれていたことだろう。それを示すように、1951年の「写真批評の諸問題」では伊奈の批評家としての態度が如実に示されている。その中でも、写真の「一挙にして全体を把握し、造形化する」特性が挙げられている。このことは絵画分析の方法論に慣れた者には意外にも見落としがちだ。つまり、ストレート写真の場合、線や構図などの形式的要素だけを抽出して批評することは全く無意味なのである。写真批評においては各要素を便宜上分析するが、最終的にその全体性において考察されなければならない。ここまでくると、もはや写真の特性だけを論じるわけにはいかなくなってくる。伊奈自身もこれらを批評の道具として身につけた上で、実際の写真家の作品に対峙することを考えていたはずである。伊奈の批評活動は写真家論に向かっていく。

 本書に収録されている写真家論は、『写真 昭和五十年史』に収録された主だった日本の写真家たちと、アンリ・カルティエ=ブレッソンやロバート・キャパなど海外の写真家の二つの章に分かれている。そのどれもが報道写真を志したリアリズムの写真家たちだ。その中で、伊奈の写真観と接近しつつも距離を持って書かれた土門拳論や、その方法論的分析が際立つロベール・ドアノー論は印象的だった。彼は紹介者としての任を果たすと同時に、報道写真を基礎とする彼のリアリズム論が通底している。木村伊兵衛や土門拳など、50年代からしばらく続いたこの写真的リアリズムの風潮を、伊奈は東西の作家を紹介することで基礎付けてきたことがうかがい知れるのである。

 伊奈信男は「写真に帰れ」において次のように書いている。「猿が人間を真似るとき、猿は決して人間的になるのではない。反対に、猿は、人間を真似るとき、最も『猿らしく』なるのである」(本書23頁)。芸術写真に対する抵抗として上記のような皮肉を述べているのだが、今にしてみれば、この謂いは猿(=写真)を下等と見立てたときに初めて機能する。だが我々はすでに写真をそのようなものとしてみていない。むしろ深刻なのは、写真と芸術との相違が問題とされるのはパロディとしてのみだということである。それはリアリズムの可否においても同様のことだろう。我々は今一度写真を見ることについて考え直してみる必要がある。伊奈信男の批評はその意味で、再考を促すよき案内役となるだろう。

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