11.01. リアル
スン・ウー・バック写真展「REAL
WORLD」(10月26日−11月18日、東京・東神田/フォイル・ギャラリー)。同名の写真集がフォイルから刊行されたのにあわせた展覧会。写真家は1973年、韓国生まれ。世界の観光名所を集めた母国・ソウルのテーマパークを撮ったシリーズ<REAL
WORLD>と、北朝鮮を訪問し、おそらく隠し撮りのようにして撮影したスナップ<BLOW UP>を組み合わせる。なかなか面白い展覧会。視線の欲望が生んだテーマパークのヴァーチャルさと、北朝鮮における見ることの抑制・統制と。この対照は誰にも見て取れるだろう。社会学の好個のテーマになりそうだ。それは撮り口にも現れ、前者は引き気味に周囲を入れることで虚構性をそのまま伝え、後者は抑制された視線の欲望を自ら代補するように撮影カットの部分を引き伸ばす。ただし実際に展示を見ると、どちらの写真もある種、いやな感じを抱かせる。そこで対照項ではなく、共通項を求めるなら、どちらも「見せられている」ということになるかもしれない。テーマパークは言うに及ばず、北朝鮮の都市もまた見せられるために設えられているとされるのだから。全体の表題もあえて「REAL
WORLD」にしているから、2つのシリーズを組み合わせた意図は一つにそのあたりにあるような気もする。ところで、だとすれば作者は見せられていることにいらだっている。裏返しの形であれ、ここではリアリズムが信じられている、ということにもなるのだろう。
11.03. 沖縄1
羽田空港にたどり着いた時は正直、疲れていた。睡眠時間の少ない日が続き、あげくに前日も深夜勤務。40分ほど横になって、始発電車に乗る。「本当に沖縄に行くのか、おれ」と思いながら乗った飛行機の中で少しは寝たけれど、体も頭もひどく重い。那覇空港に着くなり、クイックマッサージに吸い込まれるというていたらく。そんな風でも沖縄に着たのは、オープンした沖縄県立博物館・美術館を見る必要があったのと、比嘉豊光、浜昇、北島敬三の3人展「写真0年
沖縄」展を中心とするイベントを見ておきたかったから。モノレールの駅の近い方ということで、県庁前駅の那覇市民ギャラリーへ。いま言った3人展「写真0年
沖縄」と、若い世代による「写真0年 沖縄−連動展」(ともに10月30日−11月4日)がそこで開かれている。
11.03. 沖縄2
3人展はそれぞれ70年代、沖縄を撮ったシリーズと現在のシリーズが出品される。つまり比嘉豊光は「沖縄闘争」(1970〜72年)と「島クトゥバで語る戦世」(2000〜07年)、浜昇は「沖縄という名」(1972〜88年)とphotographers'
galleryから写真集の形で刊行されたばかり『VACANT
LAND 1989』、そして北島敬三は「コザ/1975−1980」と沖縄で撮影された「PLACES」シリーズの新作(2006〜07年)。なお、会場構成は倉石信乃。まず比嘉の「沖縄闘争」を見る。最近、渡辺眸による全共闘の展覧会を見たばかりで(1025の項)、それとはずいぶん違うものだなと素朴に思う。もう一つ素朴に目をひいたのは観客の違いで、比嘉の写真を食い入るように見る年配の人が少なくないこと。ただし、ノスタルジーというのでもない、今日の日常との延長線上で見ているような感じも受ける。次に北島の「コザ」。1年ほど前、銀座ニコンサロンでその一部を見たが(昨年1117の項)、当然のことながら80年代初頭のニューヨークに連続するスナップショット。なおかつニューヨークの写真で顕著になる、人間が背景から剥離するような質のスナップがすでに部分的に現れているようでもあった。人間と背景の分離・剥離は90年代以降の「PORTRAITS」「PLACES」の2シリーズに至るわけだが、それがもしコザから始まっているとすれば、よく意味を考えてみるべきかもしれない。と思いつつも、さほど考えは進まない。逆にコザの写真に一貫している、いわば「ありえなさ」の感覚がいかに微量であれ、今日の2シリーズにも潜んではいないか、これも気にしてみるべきかと思ってみる。浜昇「沖縄という名」はその写真を初めて見るということもあり、さしあたりの感想のみ。いわば場に溶け込むように視線が移動し、その延長線上で撮られていったスナップのように見える。もう一つさしあたりの印象として、いかにも自由な撮り口のようで、過去の先達が撮影してきた写真の記憶がひそかに折り畳まれ、それとの距離も冷静にはかられた写真かもしれない。それもあるいは視線の質のとらえがたさの印象につながっているのかなという気もする。こうした70年代を中心とする諸作とともに、それぞれ現在の仕事が見られるわけだが、しかし、過去と現在の間がきちんと制作歴として埋め合わされるわけではなく、時を隔てたシリーズがふと浮上し、それが遡及的に写真家の仕事の、見えざる時間的な持続を彷彿させる印象があった。受け付けの奥のソファに浜さんが座っていたので、ご挨拶。比嘉「沖縄闘争」に談及び、あれは生活と結びついた労働闘争から始まったのだよと教えられる。
11.03. 沖縄3
「写真0年 沖縄−連動展」はこの那覇市民ギャラリーと、おもろまちのサンエー那覇メインプレイスの2会場。駆け足で見て、サンエー那覇メインプレイスの先にある沖縄県立博物館・美術館に乗り込む。博物館と美術館の複合施設だが、とりあえず美術館の開館記念展「沖縄文化の軌跡 1872−2007」(11月1日−2月24日)に入ってみる。すると、最初の部屋に比嘉豊光や石川真生、平敷兼七の写真が展示されており、しかも「第4部」とある。えーと「第1部」はどこですかと尋ねると、上の階だということでエレベーターに乗ったのだが、その後も順路が何とも分かりにくい。これは一体・・・と思いつつ、何がどこに出品されているか、ひとまずチェックする。どうも逆順に見せる展覧会なのかもしれない。あとは明日、もう一度見るしかない。続いて「写真0年 沖縄」展関連のシンポジウム。3人展の出品作家の部と、鵜飼哲、仲里効、東琢磨の「沖縄表象の現在」という2部構成。疲れを御しがたくなり、終わるや否や、ホテルにチェックインして仮眠する。携帯電話で起こされ、懇親会に参加。少し元気が出て、2次会に向かう途中で、比嘉豊光さんに挨拶する。これまで紹介の文章を書いたことはあったけれど、これが初対面。2次会で隣の席になったので、かねて聞きたかったことを尋ねてみる。「島クトゥバ」シリーズは自然光で撮っている。しかし、写りにくい、ぶれるといったことでストロボを使いたいと思うことはないのでしょうか。答えは「写らなかったら、写らなかったでいいさ」。その仕事において何が重んじられているのか、酔余の記憶に残る。
11.04. 沖縄4
翌朝、沖縄県立博物館・美術館を再訪。今度は博物館部門をのぞいてみる。開館記念展は「人類の旅 港川人の来た道」(11月1日−1月20日)。沖縄で見つかった1万8000年前の港川人の化石を柱として、人類の生物学的な歩みをたどる。常設展示室も大規模な回廊式で、自然史、考古、歴史、民俗、美術工芸部門を擁する。美術については、この美術工芸部門が近世までカバーし、近代以降は美術館という割り振りになっているようだ。ということは博物館と美術館を合わせると、何と1万8000年前から現在までの歩みをこの博物館・美術館はカバーすることになる。すごいことだ。アイデンティティーなるものと歴史は切り離せず、そこに美術館なるものを加えることもできるが、この長大な歴史をカバーする博物館・美術館はアイデンティティーへの希求を、ひとまず強烈に印象づける。続いて前日に続き、再び美術館の開館記念展「沖縄文化の軌跡 1872−2007」に入る。今度は逆順に、自分なりにきちんと見た。地方の美術館では、地元での活動歴がいかに希薄なものであれ、中央で有名な画家に重きを置くケースをよく見かけるが、ここでは沖縄の美術史をしっかり語ろうとしている。また、逆順というのは、今日の視点から、という意図によるそうだが、同時に、起点の1872年に始まる通史として沖縄文化の流れを固化させない効果をもたらしていた。平板な歴史化の回避と言うこともできるだろう。その意味でこの美術館の開館記念展と、旧作を作家歴の中に収めない形で提示していた「沖縄0年」展とは響き合うものとなっていた。
11.04. 沖縄5
さて、この開館記念展の枠組みについては、かなり力点が置かれている写真分野について紹介する方が近道だろう。ひとまず言ってしまえば、見られる沖縄から、自ら見る沖縄へ、つまり見る主体の回復がたどられている。木村伊兵衛、土門拳、岡本太郎ら本土から来た人々の仕事がまず置かれ、続いて1970年代に活躍する比嘉康雄、平良孝七、さらに伊志嶺隆の仕事が集められる。ただし展示では第3世代という位置づけで、比嘉豊光や石川真生、平敷兼七の仕事が登場する。ここで注意を要するのは比嘉らの仕事に隣接する形で、島袋道浩、照屋勇賢+大山健治の参加型作品が出品されていることだろう。照屋らの作品は、QRコードで掲示されるアドレスにケータイ写真を送信すると、会場の水晶の中に投影されるというもの。いわば写真を使ったリレーショナル・アート。比嘉の「光るナナムイの神々」「島クトゥバで語る戦世」もまた被写体との深い関係性の上に成り立っている。ここまでの見られる沖縄、見る沖縄という枠組みは必然的に他我の分離を前提とするが、順路で言えば冒頭にあたる比嘉らの作品を通じて、それを乗り越える可能性を探っている、というのが本展の大きな枠組みと言ってよいだろう。ポスト・コロニアリズムについてあまり詳しくないが、これまで数は少ないながら、近代の植民地との関係を扱ったものが開かれてきた(例えば東アジアを対象にした「油画の近代」展=静岡県立美術館など)。この開館記念展はそれを今日に続く問題としてとらえた、さらに数少ない試みの一つと言えるかもしれない。もっとも、照屋らの作品と比嘉の写真を並べて考えてよいのか、何かためらわれる気がするのも事実だ。ただし比嘉の作品は確かに沖縄に発する一面を備え、また、リレーショナル・アートそれ自体も、例えばゴンザレス=トレスを一つの達成として考えるなら、そこでは性的なマイノリティーの意識が共同性へ回収されないような関係性への希求を必然的に生み出していたように思われる。こうした本展が示唆する関係性の可能性が、しかしながら、一般的に広く敷衍できるのかというと、必ずしもそうではないのかもしれない。それは一方で他我関係をくぐり抜けた先に位置し、なおかつ共同性に回収されないようなものでなければならないのだろう。言い添えると、この日のシンポジウム「沖縄を展示する」では、「写真0年」展の倉石信乃、この美術館の開館記念展を担当した翁長直樹、そして目下、沖縄展を準備しているという東京国立近代美術館の鈴木勝雄の3氏が登壇し、鈴木氏の「東京の視点から」という発言が論議を呼んだのだった――ここまで長々と、見てきた通りにたどってきた沖縄での話もそろそろ幕とするが、結果として、無理しても行ったかいがあったのだ。
11.08. 埒外
楢橋朝子新作展(11月2−27日、東京・八重洲/ZEIT
FOTO SALON)。このところ撮り続ける「half awake and half asleep in the water」を展示。会場に写真集が置かれていた。Nazraeli
Press刊。聞くと、マーティン・パーが気に入り、同社と組んだ写真集10巻シリーズの第2弾として刊行となったよし。さすがマーティン、日本の写真をよく見てるものだと感心。シリーズについてはこれまでも何度か書いてきた。以前、少しスナップショットとの関連性について触れたことがある。楢橋の第一写真集は都市のスナップだったし、並行してスナップを撮り続けている。都市のスナップにおいて、一般に撮影者は見返されることがない。特権的な立場から見る力を行使するのと引き換えに、相互的な関係の外に出る。埒外の人というか、見られる側の社会なり世間になじまない存在となる。このシューターの位置と、海の側から陸地を眺める楢橋の位置はよく似ている。写されている陸地には神社から海水浴客まで、共同性を体現するモチーフをしばしば確かめることができる。そこにおいて、楢橋の仕事を民俗学的な角度から語ることもかろうじて許されるかもしれない。民俗学の大きな主題は共同性なのだから。例えばこのシリーズの楢橋の立ち位置と視線は、陸から遠ざかっていく補陀落渡海に赴く修行者のそれになぞらえてみたい気にさせるが、それは楢橋の仕事がどこか共同性から逃れ出る志向を備えているからなのだろう。
11.12. 選択1
「日本彫刻の近代」展(11月13日−12月24日、東京・竹橋/東京国立近代美術館)。それをたたき台にして議論すべき通史がなぜ書かれないのか、疑問に思っていたので、国立美術館が日本近代の彫刻史を通覧しようとした試みとして、まずは評価すべきと思う。扱う時代は明治にはじまり1960年代まで。しかも出品数は100点ほど。平均すると、1年あたり1点ということになる。だから何が出ていないなどと言ってもはじまらないわけだが、あえて一つだけ言えば、人形を挙げることができる。人形は同じ近代美術館でも工芸館の領分となるらしい。それだからというわけでもないだろう。生人形はあまりにインパクトが強いので避けるとしても、森川杜園のような独特な存在を入れる意味はあったように思う。2004年、この美術館に近い宮内庁三の丸尚蔵館の「近代日本の置物と彫刻と人形と」展は、それら多様な立体物を併せて並べ、「彫刻」以前の立体物の多様性を実感させた。意味のある展覧会だった。先行する展覧会の上に、また開かれる展覧会は成り立つものだと思っている。いまはそうでもないようだが。そんなわけで三の丸尚蔵館の展覧会の一項だった人形を欠いたことが気になった次第。ちなみに以前、東京国立近代美術館で開催された「揺らぐ近代」展について、ここで中国というファクターが欠けていないかと書いた記憶があるが、三の丸尚蔵館では明治宮殿の装飾を通じて、和洋中が鼎立した時期があったことを示していたように思う。
11.12. 選択2
もう一つちなみに、会場でふと思ったことがある。「彫刻」以前の立体物が次第に「彫刻」へと収斂していく過程として、自分も日本近代をとらえているように思う。しかし、西欧社会において、「彫刻」はそれほど自明な概念であり続けたのだろうか? 素朴な話だが、現地に行くと記念碑としての野外彫刻があり、他方では宮廷趣味もあらわな陶器の小彫像があり、実際、エティエンヌ=モーリス・ファルコーネのような人だと、その両方を手がけていたりもする。例えば1873年の万国博覧会に際し、ウィーンに行ったとしても、当時の人々にはこれが彫刻だという理念的な把握はほとんど不可能だったのではあるまいか。あるいはロダンとその移入以後の彫刻理解に依拠し、日本近代初期の立体物を「分かっていないな」と見下すようなところがありはしないか、省みたい気がする。
11.15. リアリズム
「民衆の鼓動 韓国美術のリアリズム 1945−2005」展(10月6日−11月25日、新潟県立万代島美術館)に出かける。戦後から現代まで時間軸は長いが、ハイライトは1980年代の民主化闘争の過程で生まれた作品群。日本では戦後まもなく勃興した抵抗的なリアリズムが遅れて出現したように見えるかもしれないが、話はそう単純ではない。国際的には60年代後半から進行した反修辞の動向が一転、ニュー・ペインティング等と称される過剰な修辞の時代を迎えるのが80年代であり、日本も例外ではなかったわけだが、韓国では抵抗的なリアリズムと複合したらしい。例えば呉潤(オ・ユン)は日本の戦前にもあったような木版画を手がけているが、同時に、伝統的な十王図の形式を借用した絵画やメキシコ絵画ばりの作品も描いている。それぞれにおいて社会的に有効な手法が選ばれているとも言えるが、その選択可能性は同時に、80年代的という印象をもたらす。こうした機微に触れる上で、また、日本の80年代美術について考える上でも、一見の価値のある展覧会。特に呉潤という作家は面白く、もっと作品を見てみたいものだと思ったら、韓国では近年、大きな回顧展が開かれたらしい。
11.21. 量
内原恭彦写真集「Son
of a BIT」(青幻舎刊)。ウェブで活動している人とのこと。まず量的に膨大なスナップがあり、なおかつ複数のカットを接合し、画像量をでかくした作品も含まれているようだ。この量ということがデジタル化の一つの功徳なのだなと納得させる一冊。このところダムや工場、さらに変わった猫の写真集などがウェブ上の量的な集積からピックアップされているわけだが、この量という話を作品化しようとした試みとも言えようか。ちなみにアジアで撮影された写真が多いことも目をひく。結果的にそうだということか、それとも量と関係する選択なのだろうか。
11.28. 般若心経
みうらじゅん「アウトドア般若心経」(幻冬舎刊)。笑ってしまって、気づきにくいことだが、みうらじゅんはほとんど常に写真を使ってきた。街角の珍物件を撮る時も、自身の珍コレクションを見せる時も。その中には絵はがきやグラビアなども含まれる。ついには東京都写真美術館の展覧会に起用されたりもしたが、その多年にわたる写真とのかかわりの中でも、際立って面白い。般若心経の文字を街角の看板から一文字一文字探して撮影し、その写真によって経典を一冊に編んでいる。例えば「若」はちゃんこ屋さんの「若」だったり、という具合。これが本当の“写経”というわけだが、看板の文字は世俗のただなかにあって、なおかつはかない。そこから集字することで、その世俗と背中合わせにして経意が遍在することを、そしてはかないようなもの悲しさを感じさせる。今年、意表を突かれ、なおかつ感心した写真集の一つ。
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