home documents shop link off the gallery
 
 
三島 靖 MISHIMA Yasushi

 |new issuereview issue

 

47:REVELATIONS / DIANE ARBUS

2006.02.11


 暮れから新年にかけてロンドンでみた、ダイアン・アーバスの大きな回顧展「リヴェレイションズ」がいかに素晴らしかったかを会う人ごとに伝えたいと思うのだが、思うにまかせない。
 写真に興味を持たない人に話そうと思うと、ダイアン・アーバスが「なにを撮った」人なのか、まず伝えなければならないが、これがいかに難しいことか、あらためて思い知らされる。
 だが、ダイアン・アーバスなら知っているという人に、わたしの感想を伝えることはなおさら難しい。

 わたしはこれまで、写真のことをどのように書いてきたのだろう。
 わたしは編集者だから、ことを始めたらどんなにとっ散らかっても最後には辻褄が合わないと気分が悪い。逆にいえば、どこかで辻褄合わせをしなければ、写真を語ることはできなかった、ということでもある。写真家その人の発言にせよ、エピソードにせよ、カメラや感材などの技術にせよ、いわば推理小説(そこでは事件はかならず解決される)の証拠のように使って、写真を考えてきたのだと思う。
 ひとたび写真の世界に足を踏み入れたら、ダイアン・アーバスを知らずにいることは不可能だと思うし、そこに触れずに写真で何かをすることもまた、不可能なのではないか。これは、世界的な影響力を考えれば比べものにはならないが、日本で写真をやるならば中平卓馬に触れずに何かをすることは不可能だ、ということと、わたしにとっては同じである。
 そしてもちろん、それらに触れることは「終わり」に触れることであり、わたしが触れるとすれば、その「終わり」に辻褄が合うように触れなければならないだろう(でないと触れたほうが終わってしまう!)。だからわたしには、ダイアン・アーバスのことを考えたり書いたりすることは非常にむずかしかったし、あまり見ないようにしていたというのが正直なところだったかもしれない。悪運が強かったのは、この人の写真は死後に厳しく管理されて、形をかえてつぎつぎに作品が登場するということが少なかったため、よく知られたカットを見たことがあれば「知っているふり」ができた、ということもある。

 いいわけめいたことばかり書いていないで、ここでは、展示を見て感じたことを断片的に並べてみておこう。とりあえず早いうちに、展示を見たことについての「辻褄」も合わせておかないと、カメラ雑誌の仕事さえ続けられないような、そんな気持ちがあるからだ。

「リベレイションズ」は、サンフランシスコ近代美術館で2003年秋から始まり、アメリカ各地の美術館とドイツを巡回した後、2005年秋から06年1月までロンドンのヴィクトリア&アルバート美術館で展示された。この後、今年の7月から10月まで米ミネソタ州ミネアポリスのウォーカー・アート・センターに巡回する。担当学芸員はサンフランシスコ近代美術館のエリザベス・ザスマンとサンドラ・フィリップスである。娘のドゥーン・アーバスが深く関わっていることも、この展覧会の決定版性を高めている。
 そのことによって、これまで門外不出であったと思われる、ダイアン・アーバス自身のメモ類、テストプリント、コンタクトシート、撮影スナップなども見ることができる。
 大部のカタログ(英ランダムハウス刊)には、ドゥーンも加わって作成された、かなり長い年譜が収録されている。会場でも見ることができるが、メモ書きなどから拾われたさまざまな言葉に、直接ふれられることは大きい。
 これまでに知られているのはパトリシア・ボスワースが書いた評伝で(邦訳もある=*1)、海外で出版される現代人物伝の例にもれず多くの関係者に取材した、話題の豊富な読み物だが、非常に歯がゆい欠点もあった。ひとつは、雑誌などに本人が語った言葉そのものがあまり出てこず、なおかつ本人に近い人たちからはおしなべて取材拒否にあっているため、なまじ多くの人に話を聞いたことがウラ目に出たきらいがあること。その結果だと思うが、もうひとつはさまざまなエピソードが、すこしも写真に結びつかないということだ。そして、いまさらわたしが言うことでもないが、過激な表現を行う芸術家の大半は、決して人間ばなれしたモンスターではない、ということだ。その点でこの評伝は、裕福なユダヤ人というネガティブコンプレックスを抱き続けたエキセントリックな性の冒険者、というような部分が(同時代のアメリカ人が見ればそれ以上のイメージであったにせよ)、やや強調されすぎている。
 わたしは、まだ「リベレイションズ」のカタログに入っている年譜を読んでいない。なにせ英語だから、わたしの力では読み通すのに半年以上かかるかもしれないが、ことしの上半期はそれで終わってもいいかな、とも思わないではない。

 本人の言葉は、さまざまな形で会場にも展示されている。展示の上でありがたいのは、言葉や資料などは、会場の中にさらに部屋を作り、その中に展示する方法をとっていることで、写真作品が文字にまみれて見づらいことはまったくない。
 また、小部屋を作って展示されたのは、ひとつに、いわゆる「マガジン・ワークス」をめぐる編集者とのやりとりや彼女のメモ書き、コンタクト。そして機材(彼女自身が使ったニコンFやローライフレックスなど)。それから彼女の暗室を再現する形で、伸ばし機やテクニカルデータ、テストプリントや書棚(*2)などが展示されている。薄暗い小部屋、それが彼女が愛した見世物小屋に通じることは言うまでもないが、展示会場に「暗室」があることで、そのことにあらためて気づいたりもする。

 以下、断片的に。

 印象的な彼女の字! ひと目見たら忘れられない、夢にまで見そうな字だ。
 見世物小屋の蛇のように、あるいは、綿々と縫いとられていく刺繍のように、単語がつなげられていく。こういう字を書くひとはきっといつも心が責めたてられていたに違いないと勝手に想像してしまう。
 しかし見落とせないのは、彼女がひとたび、撮るべきもの、撮ったものについて書いたときのメモだ。いわば取材予定表、取材時のメモ書き、ということになるが、このような字で手帳を埋め尽くす人が、いかに執拗に書きつけているかと期待してみると、驚くほどあっさりしている。撮るべきもの、撮りたいものは明確で、撮れた場合でも、被写体と深く知り合い、言葉での取材を記録しておく、ということについては、まことにサラリと書き付けてあるだけだ。

 近いことを、コンタクトプリントにも感じる。
 ひとつ、わたしにはっきりと言えること。
 ダイアン・アーバスは、写真が上手くない。
 仕事の写真としてコンタクトを見せられたら、わたしならまず間違いなくそう感じる。
 つまり、フィルム1本どのカットにも充分なクオリティを持たせて撮ることのできる(見せられた側は選ぶのに迷う)職人的な技能を持ったカメラマンを、有名無名を問わずわたしはすでに多く知っている。こういう人々と比べると、上手くないんだ、ということが非常に印象的だ。
 しかし、彼女のコンタクトプリントのいくつかには驚くべき点がもう一つある。
 作品が選び出されているフィルムが一本コンタクトしてあるプリントを見ると、彼女の作品として選ばれるべきカットはこれしかない、ということが一目瞭然なのだ。そして、そのコマは例外なく、被写体がもっとも悲惨に写っていて、そのおかげでもっとも輝いている、パラドックスに満ちたカットなのである。
 彼女自身がそのような選びについて確信を持っていたこと、だからこそ、作品にならないことで悩むことが多かった(そもそも簡単に撮れないだろうし展示許可に即サインした被写体が多かったとも思えない)というのも理解できる。たとえば有名な双子のカットがあるコンタクトシートには、複数のロールから切った何組かの双子のカットが二〜三カットずつ焼いてある。ふつうコンタクトというものは、そんなふうにはとらないのではなかろうか? そこで何がされているかといえば、個々の撮影からあらかじめ悲惨に輝くコマを選んだ上で「どの双子がもっとも悲惨に輝いているか」を決めるためのコンタクトを作った、つまり彼女の撮影は、さきほど仕事写真としては上手くないようなことをいったが、創造というよりは仕事であったということだろう。なぜ仕事だというかといえば、そこには始まりがあると同時に「終わり」がある、ということだ。必要なものが撮れたら「終わり」である。だから彼女が「撮れた」とコメントしたとき、彼女も「終わった」のだ。

 わたしはずいぶん長い時間、展示会場にいたが、ダイアン・アーバスという人の作品を見るのではなく、その人の仕事につきあった、というような奇妙な感想をもった。
 わたしには、フリークスやサーカスの芸人やヌーディストが云々という、写っているものそのもののことはどうでもよかった。四〇歳代後半で亡くなっている彼女が「終わる」年齢にわたしも間もなくなる、だから一種の同世代感覚があるのだろうか、と思ってもみた。心身ともに病んで、端的にいえばいつも鬱々としだるいという体調を抱えていた人の気持ちがわかる、であるとか……そういう部分もあるが必ずしもそうでもない。

 ダイアン・アーバスが行ったことに関連することのすべては、自死も含めてダイアン・アーバスで「終わり」なのであり、それ以外のあらゆるものが無意味である、せいぜいのところナゾリでしかない、だからこそダイアン・アーバスのしたことには意味がある、というのがわたしの考えだが、それはあくまで彼女の「仕事」でもあったのだ、ということなのだ。これがそのままつながるかどうかはまだ考えていないが、ひろく写真そのものも、いつかは、あるいはまもなく、その役目を終えて「終わる」、「仕事」だったといえるのではないか……連綿と続いていくように見えながら、とうに終わった抜け殻だけをナゾっている「仕事」はわたしたちの回りに山ほどある。写真もじつはそれらのひとつに過ぎないのではないか……そのような気持ちになって、わたしは会場を後にした。

 会場に掲げられた、ダイアン・アーバスの言葉。そのすべてを読むことは到底できなかったし、これから、ぽつりぽつりと読んでいこうと思う。もちろん写真展タイトルの「啓示」(REVALATIONS=*3)にかかわる美しいコメントもあるのだが、わたしが会場でたまたま読み、印象深く受けとめたのは、彼女が、死の年に行ったワークショップ(いま見られる作品のプリントを手がけるニール・セルカークが生徒として出てもいた)の感想を、前夫のアランに宛てて書いた手紙の一文である。


−−私はちょっと混乱したの。生徒の作品はどれも退屈なんだけど、どこがどう間違っているのかは、私にはわからなくて。というのも生徒たちの写真は「いい写真」とそんなにひどく違っているわけじゃないのよ。なにかへんな点があることを別にしてね。私は、もう生徒たちの写真を見たくない。その部分にとらえられてしまって、生徒たちから、あの退屈な写真の撮りかたを学ぶことに終わってしまいそうで……。



*1 「炎のごとく−写真家ダイアン・アーバス」(文藝春秋 1990)
*2 「DIANE ARBUS THE LIBRARIES」という写真集になって出ている。「写真家ならあるべきものが普通にある」というところが興味深い(DOON ARBUS/FRAENKEL GALLERY 2004)。
*3 「暴露」という意味もある。 

| site map | access | contact |
Copyright (c) 2001- photographers' gallery, All Rights Reserved.