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三島 靖 MISHIMA Yasushi

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45:映画「ルート181」――山形国際ドキュメンタリー映画祭2005から

2005.10.27.


 この秋、二年に一度の「山形国際ドキュメンタリー映画祭」が開催された。今回で九回目となるこの映画祭は、一九八九年に山形市の市制百周年記念事業のひとつとして始まったものだ。三里塚を深く追ったドキュメンタリー映画監督、故・小川紳介が初期の牽引役だったことは知られている。
 二〇〇三年の前回、国際コンペティション部門大賞を受賞した中国の若手監督、王兵の第一作「鉄西区」の圧倒的な素晴らしさはここでも書いたし、その感動はまだ記憶に新しい。
 それにしても、このような地味なジャンルの映画祭が一地方都市で長く続いていることには感心させられる。もちろん関係者の熱意と努力が、地域活性化というローカル性を超えた運動となって持続しているからでもあろうが、その一方で、そもそもドキュメンタリー映画の多様な方法に、ひとを惹きつける何かがある、ということも間違いないだろう。
 ちなみに、二年に一度という間隔での開催も成功の要因かと思う。写真カメラ同様、シネカメラのデジタル化も進み、とくにドキュメンタリーでは、その気になればたった一人で劇場上映可能な映画を作れることは常識だ。デジタルによる撮影や編集の高速化と簡易化で、ひとつのテーマを熱いうちに一本の映画に仕立てうる時代に、二年に一度のペースはやや遅いようにも思える。しかしこの「間」こそが「腰だめ」につながっている。国際コンペティション部門への世界からの応募作は九五〇本。二年の間にこれが上映作十五本に絞られる。だからこそ、たとえばオランダの農村の静かな光景を七年にもわたって撮影した作品が上映され評価される(「海岸地」FORELAND・オランダ・二〇〇五年)、という懐の深さも出てくるのだ。

 二〇〇五年一〇月七日から一三日の開催期間中、わたしは一日半ほどしか山形市にいることができなかった。見ることのできた作品は限られている。今年はこの一作を紹介する。今後、お近くで上映の機会があったらぜひご覧になっていただきたい。
 それは「ルート181」という映画(ROUTE 181,FRAGMENTS OF A JOURNEY IN PALESTINE-ISRAEL・ベルギー/フランス/イギリス/ドイツ・二〇〇三年)である。
 監督はミシェル・クレイフィ(一九五〇年、ナザレ=現イスラエル領=生まれ)とエイアル・シヴァン(一九六四年、ハイファ=現イスラエル領=生まれ)のふたり。パレスチナ人のクレイフィとユダヤ人のシヴァンが、イスラエル建国につながる一九四七年の国連決議一八一条による、パレスチナ分割時のイスラエル−パレスチナ境界線を辿る形で自動車旅行をする。旅先で出会ったさまざまな光景や、彼らのインタビューに答える人々の姿をたんたんとつないだ二七〇分である。休憩を入れて上映時間がざっと五時間、そう聞いただけで拒絶反応が起きる人も多いと思うが、まったく飽きることなく見続けることができる作品だ。監督のひとり、シヴァンによると、DVD化が予定されているバージョンは七時間に及ぶそうだが、この地域の歴史を経験するのに五時間や七時間ではまだ短いほどだ、という。この映画を見たあとでは、その発言にもうなずけるものがある。
 映画は、海岸近くの宅地建設現場でのインタビューから始まる。<全部俺たちが作ったんだ、アラブ人など生かすだけ無駄だ>と語るユダヤ人の現場監督。この男、地元生まれではなく、クルディスタン移民のようである。一方、地元生まれらしいが、<パレスチナ人の問題には実感がない>という、測量アルバイトのユダヤ人学生。そこから旅の車は走り出す。
 パレスチナ人を<さっさと排除しなきゃ、ガンはとり除かないとね>という中年の女性売店主。この人はイエメン出身のユダヤ人だ。<連中は地名を片っぱしからヘブライ語に変えてやがる。どうして僕たちと離れて住みたがるんだ>というパレスチナ人の若者、エチオピアから迎えられ、ロッドの「統合センター」で、生まれて初めて見るのであろう欧州ユダヤ式の歓迎を受け、ただ呆然と坐り尽くすだけのユダヤ系移民たち。ユダヤ人入植地へオリーブの木を植えに訪れ<ここが憧れの地だった>と語るユダヤ系アメリカ人ツーリスト。この映画は、そうした登場人物たちの言葉を伴奏に、車窓からの眺めをむしろ主旋律として進んでいくようにも見える。
 車からの眺めを観客席で共有しているうちに、イスラエルがこの土地をその「故郷」としていく方法論が、体感として認識されるようになってくる。
 ひとつは、点の入植地を作り、それを線でつなぐという、まさにユダヤ的ネットワークを連想する手段だ。ふつう、先住者のいる土地を自分のものにする方法は「陣取り」をイメージするだろう。サッカーやラグビーではないのだが、つまりは味方の拠点を一点一線からじわじわと広げ進める方法だ。しかし、この土地では、ひとつひとつはさして大きい拠点とも思えない点の入植地をばらまき、それを線で結び、面だと居直る方法が、巧みに成功しているのだ。線を面にするには水脈という地勢もからんでいる。バルカン問題が「通り道」をめぐる地勢の問題でもあったようにだ。
 映画に登場するユダヤ系のひとびとの来歴が示すように、それら点の拠点を「故郷」とするのはしばしばそこで生まれていない、戦略的にリクルートされてきた他国からの移民としてのユダヤ人だ。多くの場合そのリクルートは、「ほんとうの故郷」に行って差別から解放されよう、という勧誘方法によっている。ユダヤ移民たちは、差別から解放される(イスラエルに住むことで完全に解放されているかどうかは別として)かわりに、本来の民俗的アイデンティティを、イスラエル国家要員としてのアイデンティティに差し替えなければならない、ということなのだ。この映画で繰り返される車窓風景、とくにパレスチナ人居住地域のひどい緊張度に比べていっけん穏やかなユダヤ人入植地の日常光景が象徴するのは、この二重三重の人為的組み立てから生じた空虚さなのだと気づく。
 それと関連して、映画の中でわたしがもっとも印象的だったのは、えんえんと「壁」に沿って走る車からの眺めのシーンである。眺めといっても、「壁」をスクリーンでずっと見続けるわけなのだ。車から撮った映像を同録の音といっしょに上映するだけのことだと思うのだが、車でかなりの時間走る間、窓外がずっと「壁」だという、視界に時間を加えた映像を観客席で体験させることは、非常に効果的だ。
「壁」とは、イスラエルが建設する防御壁である。映画では分離壁と訳されていたと思うが、イスラエルはパレスチナ自治区からテロリストが侵入するのを防ぐのが目的だといっている、人と人とを隔て地勢を無視して作られる「壁」のことだ。壁のラインがパレスチナ自治区側に食い込んでいるとか、農地の切り離しや囲い込みを狙っているのではないか、という指摘はすでに行われている。あのベルリンの「壁」は壊されたのではなく、ここに移築されただけだったのか、と、心底憂鬱になる、金属フェンスではない灰色の壁だ。関心・興味・対話・理解、どんなにわずかな程度でもいいからこの事態に前向きな変化をもたらすかもしれない、人間関係のあらゆる可能性を奪う「壁」……。
 さて、この問題に日常体験としてふれる機会はなく、メディアなどから得た情報による限られた知識しか持たない日本人観覧者としてのわたしは、この映画に「洗脳」されたのだろうか?
 昨年三月、パリで開かれたドキュメンタリー映画祭で、この映画の上映が中止される騒ぎがあったという。この映画が、反ユダヤ主義を煽るものだという確固とした考えかたがその根底にある。フランスでは反ユダヤ主義は知識人としての死に値するということもあって、著名な文化人たちが、この映画のあるシーンを、あのクロード・ランズマンの「ショアー」の悪質なパロディであり、被害者を加害者に仕立て上げている、と主張しもした(当然ながらランズマンは、たとえばシヴァンがアイヒマン裁判の映像を自身の視点で読み直したアーカイバル・ドキュメンタリー、「スペシャリスト」に反発している。いっぽう「ルート181」の上映中止にあたっては、三百人以上の映画人や文化人が新聞に反対意見広告を掲載したという)。
 では、この映画を見たわたしが「洗脳」されているとして、はたしてわたしは、ホロコーストの被害者たちから「故郷」さえ奪おうとする、無知かつ残酷な反ユダヤ主義者なのだろうか?
「ルート181」のもう一人の監督、パレスチナ人のミシェル・クレイフィはこの映画を、「抑圧された人々の声を解き放ち、その言葉に誠実に耳を傾けることができるよう」に撮りたいとしている。「いわば長い精神分析のプロセスの第一歩」である、というのだ(いうまでもなく「抑圧された人々」とは、パレスチナ人のみならずユダヤ人をもさすだろう)。そしてシヴァンはおそらくその意味で、この映画を、ひとびとの声の「アーカイブ」だというのである。
 ならばその「アーカイブ」という、現代写真では無名性・中立性というスタイルの代名詞のように使われている「記録」が、どのような作業によって作られたか、ということは、この映画を見る上でさらに興味深く、注意しなければならない局面であろう。
 ここではわたしの知り得た二つの(どちらも興味深いが)ことをあげておく。
 ひとつは、この映画は、ふたりの監督の旅をほぼ体験通りに順番につないでいる、ということ。インタビューした人は旅の途中で偶然出会った人たちだが、そのほとんどを映画に登場させている、という。そういわれると会った人がいかにも少なく感じる、というのは、どれほど多くの画像や音が捨てられたのだろう、編集に相当な苦労があったはずだ、と想像するからだ。そもそもインタビューに応じた人が少なかった、という事情もあるかもしれない。
 イスラエルは南北五百`に満たないから、距離だけでいえば東京から大阪程度か。そこにこれほどの難問が横たわっている。はたして、なにを捨て、なにを残すことでこの映画を「アーカイブ」といっているのか。この映画を見る側に強く印象づけるのは、捨てた部分への見る側の想像力なのか、それとも捨てずに残したものの単純な連続性の効果なのか、という関心は尽きない。
 もうひとつは、実は二年前に紹介した「鉄西区」の王兵もそうだったのだが、シヴァンのほうはもともと写真家だった、という事実だ。本格的に仕事で撮っていた時期もあるようだ。シヴァンはあっさりと、写真も撮り続けているが、表現手段としての映画における言説の分節(articulation)を好む、というようにいっている。80年代半ば以降フランスに移住していることもあり、バルト的な文脈であることは明らかだが、写真だったらばどうするのか、あるいは写真ではやらないのか、そのあたりも興味のあるところだ。
 ところで、わたしは「ルート181」を見終えた感想をまだはっきりとはいっていなかった。
 感想! これほどむずかしいものはない。ひとことでいえといわれたら「絶望」しかない。
 そういってこの場を去りでもしたら、それは最悪の傍観者の、最悪の態度だろう。それは充分わかっている。わかっているが、しかし……。


*この映画に関する情報は、映画祭に招かれたふたりの監督が観客の質疑に応じた際のコメントおよび、多くについて、この作品の東京での上映活動も行ったNPO「前夜」が出版している「季刊前夜 別冊 ルート181」によっている。とくに、パリでの上映禁止騒ぎについては同誌所収の菊池恵介氏の一文を、またシヴァンの写真をめぐる発言は、同誌に再録された「現代思想」二〇〇〇年三月号の堀潤之、川口恵子氏によるインタビューを参考にさせていただいた。
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