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三島
靖 MISHIMA Yasushi |
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44:ウィーンのバレエ公演で騒動――流血のアートを上映
2005.10.22.
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芸術の都、ウィーンの国立歌劇場で行われたバレエ公演で、背景に上映された映像をめぐってひと悶着が起きた。
事態を報じた朝日新聞の記事(1)によれば、騒動の主はヘルマン・ニッチュ(2)。六〇年代にウィーンで発生したスキャンダラスで過激な身体芸術運動、ウィーン・アクショニズムの代表的存在で、とくに血にこだわった表現を行ったひとりだ。現在も血と贄をテーマに行われるパフォーマンス「神秘狂宴劇場/DAS
ORGIEN MYSTERIEN THEATER」を上演し続けるほか、絵画やノイズ・ミュージックなどの分野でも過激な表現を駆使してヨーロッパ市民社会の静けさを荒し回り続ける怪人だが、当時は警察が出動する事態をも招いたウィーン・アクショニズムは現在、かつてクリムトやエゴン・シーレを輩出した爛熟都市文化の財産のひとつとして認知されており、すでに各国で回顧展も開かれるまでになっている。ニッチュ自身、近年は一般的なバレエ公演などの舞台演出家としての仕事もしているようだ。
記事は、ウィーンの国立歌劇場――WIEN STAATSOPER、小澤征爾が指揮したり、本物の舞踏会が開かれたりする格式高い劇場だ――で、「ディアギレフの夜」と題されたバレエ公演中、キツネが雄鶏を騙して食べようとするがほかの動物と協力した雄鶏に逆に殺されてしまう、という内容の演目で、背景に、豚などを解体してその内蔵や血や赤い塗料などを全裸の男女にぶちまけるという映像が――まさにニッチュの「DAS
ORIGIEN MYSTERIEN THEATER」に違いないが――投影されたと伝えている。
この春の公演開始当初から批判があり、九月初旬には五分以上もブーイングが続いて、途中で帰る客が続出、バレエ団は映像の投影をやめ、踊りだけで上演したという。
しかし、この公演の総監督が、作品の一部を省くことは許されないと、再びニッチュの映像つきで上演、観客からさらに批判が上がった、とのことだ。
ところが、オーストラリア政府がこのほど、ニッチュに「芸術分野で最高の栄誉となる賞」を授与すると発表したということで、政府のお墨つきのためか、批判した観客のほうが芸術をわかっていないという反論も出ていると記事は伝えている。どうも騒動はメビウスの輪的な状況を呈しているらしい。
わたしはここで、ことの良し悪しをいうつもりはない。
爛熟した都市の頽廃の美、わたしは都市というのものはすべからくそうなると思うが、その爛熟と退廃の美、いわば年増の襟足のような包容力のある色気、というものが、この騒動には感じられる。それがたまらなく面白いと思うのだ。
ことがウィーンでの出来事だけに、いつかどこかで見たお芝居のように、この騒動は見えなくもない。いかにも貴族趣味で、保守的で、頑固なものがあり、それに対する出来レースのように、いかにも過激で、革命的で、暴力的なものがある。そのふたつの衝突が、異なる価値観や政治性のぶつかり合いであるかのように見えるだけで、これもまた広い意味で貴族的な娯楽にすぎないという分析も成り立つだろう。これはある一定の階級がかってに迷い込んだ抑圧の表象でしかないのだ、というように。
ウィーン国立歌劇場には、わたしも行ったことがある。ただしバックステージツアー、つまり見学コースだ。なにに驚いたかといって、ここではほとんど無休で、当たり前のようにオペラ(年間に三百日)やバレエが演じられているということだ。オペラの場合、演目を日替わりで鑑賞することさえ可能だ(上演中の舞台の後に舞台全てと同じ大きさのバックステージがあり、別の演目の全場面を組み立てておいて自動で入れ換えることができる)。といっても、それらの公演を維持するためには政府から多大な援助を仰いでいる(全席売り切れでも赤字が出る)。逆にいえば援助がなければ成立しない、死にかけた貴族的文化だ、ということでもある。
そのような文化の絢爛たる装飾性の中からこぼれ落ちてきたかのようなタッチを持ち、それゆえにこそ、伝統と倫理を奉じる価値観を深く揺さぶった画家がクリムトとエゴン・シーレであったわけだが、その最大のコレクターであり紹介者でもあったルドルフ・レオポルトの遺業をもとに作られた現代美術館、レオポルト美術館が、国立歌劇場から歩いて行ける場所にあったりもする。この美術館、今年の夏には、クリムト、シーレ、ココシュカを中心に前世紀末前後のエロチックなイメージの絵画を集めた「THE
NAKED TRUTH」(裸の真実)展で、ある週末の一日「男女・年齢に関係なく水着か全裸で来館した人は無料」という企画を行って話題になったばかりだ(3)。
わたしは昨夏ウィーンに行ったとき、国立歌劇場で舞踏会の開かれる場所などを見たあと、レオポルト美術館でウィーン・アクショニズムの<血だらけ>の回顧展を見た。今回のバレエ騒動から考えれば、わたしは貴族趣味の出来レースを楽しませてもらった、だけのことかもしれない。だが、あのときわたしは、妙な安心感、自分の居場所があったような感じを持ったのだ。
話がそれるかもしれないが、ウィーン・アクショニズムの回顧展に二つの但し書きがあった。ひとつは、展示には過激な表現があるので子どもづれの親は注意してください、という一文――観覧を禁じるという言葉は一言もない。小さい子どもづれのまま鑑賞している人がいた――だ。もうひとつは、この芸術運動そのものの価値もさることながら、表現者たちの活動に伴走し記録として残した写真というものの存在を忘れてはならない、という一文である。わたしはこれらの但し書きに、なんともいえず<居場所>を感じたのだ。
念のためだが、ウィーンはロンドンでもパリでもない。東京と、芸術も含めた趣味の豊富さで勝負すれば、東京の圧勝である。ましてウィーンには階級抑圧があるだろう。わたしの感じた<居場所>がそのままわたしの<住処>になるとも思えない。しかし、同じようになだらかな滅びの道を歩む都市であるならば、わたしには何事も<振れ幅が大きい>ほうが安心できる。片側六車線ぐらいのハイウェイを景気よく飛ばしているつもりが、気づくとどんどん車線が減っている、最近、そんな窮屈さが感じられないだろうか。
(1)『朝日新聞』二〇〇五年一〇月二〇日
(2)http://www.nitsch.org/
(3)http://news.bbc.co.uk./2/hi/entertainment/4731531.stm
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