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(c)SABURO OTA
首相が怒ったから解散だ! というので、吉田茂の「バカヤロー解散」(一九五三年)にならっていうとしても、せいぜい「ゆうびん解散」とでも呼ぶしかない、ここ数日の政治劇。ちなみに五〇年前の「バカヤロー解散」でさえ発端は国際情勢をめぐる議論から始まっていたことを思うと、まさしくコップの中の嵐である。
お役所仕事の怠惰さ高慢さを苦々しく思う不満は有権者の多くが(しばしば当の公務員でさえ)共有しており、その気分にかつがれた宰相をいちどはみな熱狂的に支持していながら−−この欄で書いたかどうか忘れたが、本人の写真集が売れまくるという異常事態さえ出来したではないか−−その男の賭身の目標であったはずの政策に対しては、田舎の郵便局が廃止されて不便になる、という反論が繰り返されるという「異常事態」……。戦後六〇年の八月、世の話題は小池百合子が「女刺客」として東京の選挙区に放たれたなどとということに終始していたりする。女刺客! 新東宝時代の三原葉子ならいざ知らず(ちなみに当の小池はイマふうに<あずみ>といわれているらしいが)、こんなことでこの夏が過ぎていってしまっていいのか――「ゆうびん解散」もさることながら「田舎の郵便局がなくなるかもしれない」という争点によって!――かく思うにつけ、最近は何事も悲観的に陰謀史観でとらえがちなわたしは、こう考えてしまう。今回の政治劇には、「戦後六〇年」というキーワードから国民がふつうに連想することを別の方向にそらそうとする、陰謀的なシナリオがあるのではないかと。
つまり、過去さまざまな危機があり、いまも危機的状況にあるとはいえ、すくなくとも「あのような戦争」には巻き込まれずに戦後日本はめでたく還暦を迎えた、それは、とにもかくにも日本の憲法に第九条があったからだ、という当たり前の連想を、現代国際社会では戦争への参加も欠くべからざる国際協調のありかたで、そのためには現行九条に現実性を持たせなければならない、という方向へずらそうとする勢力があり、彼らによって今回の政治劇は仕組まれているのではないか、ということだ。
閑話休題。
日ざしがわずかに翳る日を見つけつつ、ひさしぶりに東京都心での写真展や美術展を見て歩いてみた。
なかに、記憶に残る作品がひとつあった。美術家の太田三郎の個展「被爆者 POST WAR 60」(注)である。
太田は、切手という形式にこだわった作品を製作のひとつの軸にしている美術家だ。さまざまな消印を集めたり、切手シートに自作の消印を押したり、さらには自ら図案を作った切手シートを作品とするなど、丁寧な作りで趣味的な嗜好に訴えながら、同時にある意味では切手を私造してしまっている、という行為が気に入って、作家の人となりはまったく知らないまま、おりおりに個展を見てきていた。
その太田の、製作のもうひとつの軸が、戦争というテーマである。広島に残されている、原爆に曝された地蔵や樹木の写真、あるいは戦争で亡くなった兵士らの肖像も切手の作品にしていて、今回の「被爆者」で、戦争を切手の形にしたのは六作目だという。
作品は簡単でわかりやすい。太田の求めで製作に同意した被爆者一三人の肖像写真を切手に図案化し、切手収集家ならおなじみのシートの形にしたものだ。シートの下部には肖像となった人の発言が簡単に注意書きの形で記されているだけである。作者のメッセージはどこにも書かれていない。
被爆者といっても、太田がとりあげているのは広島や長崎の人たちではない。太田が住んでいる岡山県津山市の人びとだという。さまざまな事情で広島や長崎でない地域に住む被爆者の人びとは、周囲に理解者が少ないため、むしろ大きな差別にあった場合があるともいう。被爆というと、ついカタカナ書きのヒロシマ、ナガサキという座標でイメージしてしまうが、原爆被害というものは点にではなく面にあり、地点にではなく歴史にあるのだ、という当たり前のことにあらためて気づかされる。
ふつう切手や紙幣に載っているのは、当然ながら歴史上の偉人であったり、国家の象徴といわれる人びとの肖像である。それが切手や紙幣の流通価値を保証するイコンでもあり、そのことによって切手や紙幣は物神化もするわけだが、太田が戦争の歴史を織り込んで作った架空の切手を見るときわたしたちは、切手や紙幣の交換価値を制度化する国家という存在の、本質的な無意味さにさえ直面する。
もっとも、この作品は別の問題も提起している。それはきわめて原則的な問題でもある。
それぞれの切手シートは、あくまで個別の美術作品として販売されてもいる。この作品を購入する人たちは、いうまでもなく作品の収集に情熱を傾ける美術愛好家であろう。彼らが、たとえばこの作品を切り離して切手としての機能を発揮させるような意味づけを加えることはありえない。となれば、切手というフォーマットを使ってこのようなテーマの作品を作るのなら、これらの「切手」はコレクションされるのではなく、もっと大量に印刷されて流通し、実際にゲリラ的に郵便物に貼られて日本中を行き来するという「アクション」を伴わなければなんの意味もないのではないか――という問題には、誰もがゆき当たるはずだ。しかしその一方で、このようなテーマを芸術が扱う場合、「アクション」を伴わないのであれば作品行為としては意味がないとすべて切り捨ててしまっていいのか、という問題もある。
ここでわたしは、その問題に答えを出そうとは思わない。ただ、なぜわたしの記憶にこの作品が残ったかといえば、その理由ははっきりしている。
それは、ほぼ同じ時期に見たさまざまな写真との比較のゆえのことだ。
切手という小さいメディアの中で、均一に複数化された無名の個人の肖像。そしてそれに添えられた見落としそうなほど小さい、個々の肖像が発するメッセージ、それらの「小ささ」が、わたしの中にさまざまな考えを喚起したのだ。同じ時期にわたしは、より多くの「大きな」写真をみた。そしてその「大きさ」によって個々の写真の一点性(シャッターチャンスの聖なる一回性とでもいうか)と構図性を強調し、大文字の切り口でこの世界をとらえていることを示そうとする写真たちからは、不幸なことにわたしはまったく何も喚起されるところがなかった、ということなのである。
(注)太田三郎 展「被爆者 POST WAR 60」八月一日〜一三日/東京・銀座/コバヤシ
画廊企画室
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