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三島
靖 MISHIMA Yasushi |
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| 37:紅色新聞兵――ある中国人写真家の文化大革命をめぐる彷徨
2005.7.27
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関東地方にやや大きな地震があったことに、新宿に居合わせながらわたしは気づかなかった。高層ビルの上階にある新宿ニコンサロンから降りてくるエレベーターの中にいたときのことだと思うが、揺れを感じなかった。
新宿駅で山手線に乗ったときも鉄道が止まっていることに気づかないまま、車内で広げたのは、今年初めに刊行され手に入れていながら開く余裕のなかった写真集『紅色新聞兵』(李振盛)。たちまちその面白さに引きこまれてしまい、新宿駅で動かないままの電車の中で一時間以上も読み続けていた自分に気づき、驚いた。
『紅色新聞兵』とは、中国の文化大革命のさなか、黒龍江省ハルビンの新聞「黒龍江日報」に報道カメラマンとして勤務した李振盛が、社内を代表する造反派組織の一員として「全国新聞界革命造反者本部」(かつての中国新聞協会)から渡された赤い腕章に書かれていた、毛沢東の直筆文字だ。
李は一九四〇年生まれで、長春電映学院を卒業後、新聞社の報道カメラマンとなる。文革前に農村下放の経験があるが、文革期にはさまざまな造反派閥の抗争を体験し、一九六八年には自身が批判闘争の対象となり、再教育を命じられ再び下放されている(紅色新聞兵となったのは紅衛兵の腕章があれば撮影取材がしやすいことからの方策であったとも述べている)。風向きの変わった七〇年代には名誉を回復され、勤務していた社の写真部長となった。八〇年代には北京大学の付属研究所で写真を教えた。
写真集『紅色新聞兵』は、李が四〇年にわたって保管していた、中国北東部の都市に押し寄せる文革の津波を記録の視線でとらえた貴重なネガから編集されたものだ。写真そのものの面白さもさることながら、李自身による半生記がまた、一気に読んでしまうほどの興味深さである。わたしたちはすでに「紅衛兵」という言葉を作った当時の学生その人の筆になる回想を読むこともできるのだが(*)、「共産党によって育てられ、毛がいなければ新しい中国もなかったのだと教えこまれてきた」造反青年(紅衛兵よりはすこし世代が上だ)でありながら、カメラという機械がとらえた映像によって、自分がその渦中にいる文革をべつの視線で見ることができたに違いない若者のありようは、読み手の心をとらえて離さない。
新聞カメラマンとして公式行事を記録する特権を得ながら、李が毛沢東その人に向かってシャッターを切ったのは、天安門広場へ出張取材をしたとき、ジープで通り過ぎた姿ただのワンカットだけである。毛の姿はこの写真集に収録された写真にじつにたくさん現れているが、それらはすべて肖像画やプラカード、記録映画の中の姿なのだ。ことほどさように、さまざまな政治的決定も、党中枢部での権力抗争も、紅衛兵運動も、その震源はこの青年カメラマンの日常の仕事領域からは遠い。目の前に現れてカメラを向けえた対象はすべてその小型版、いわば複製としての文化大革命だといえる。だからこそ、どこか土埃の匂いがこもっているように感じられる(それはわたしの知らない中国北東部の土のせいなのだろうか)文革期ハルビンでの出来事は、四〇年の時をへても、むしろなまなましく、文字と映像によってわたしたちを震わせるのに違いない。
収められた写真で印象的なのは、6×6ブローニー判で撮影された多数の写真の驚くべきリアリティである。35ミリ判フィルムを同じくらいの大きさに拡大印刷した図版とつい比べるため、フィルムサイズの大きさによる引き伸ばしに耐える能力と、フラッシュ照明によるコントラストの上昇が目立つせいには違いないのだが、あたかも、いま目の前で起きているかのような生々しさに目が奪われる。また、広い会場で紅衛兵が糾弾集会を行っているような場合、35ミリ判ではひとつのシーンを連続的に追いかけ、記録映画のような撮影を心がけているのに対し、6×6判では、ワイドに狙えないぶん、ひとつのシーンを分割して(ヨコに広い広場は左・中・右、タテに長い寺院は上・下などと)、時系列は無視する代わりにそのシーン全体を残さずフィルムに収めるという、決定的瞬間というような構図性を追わず、カメラの機能に特化した撮影方法をとっていたことが、やはりリアリティを保持することに大きく寄与したのだと納得できる。当時の黒龍江日報カメラマンに貸与されていたのはライカM3とローライフレックス。支給されるフィルムは35ミリが月に15本、ブローニーが20本で、誌面に写真が載るたびにボーナスのフィルムが与えられたという。ここにもまたひとつの「造反的特権」があったことは間違いないが、写真のクオリティにはおおいに寄与したであろうその制度の下、李振盛は、当局に必ず没収されることになっていた「ネガティブ写真」を秘密の「ネガ袋」に入れ、メモ書きと記憶とともに隠匿し続けてきたのだ。わたしも困ったことがあるが、記録写真というものは、撮影者による状況説明と年代の記録がなければ、後年なんらかの形で使用しようと思ってもほとんど何の役にもたたない。この点では当時の李に、記録写真を扱ううえでの政治的状況を超えた透明な職人的態度が透徹されていたということもまた、貴重かつ逆説的な「造反的特権」だったと考えていいと思う。
ただ、この『紅色新聞兵』の写真の面白さや興味深さは、すべての写真が、その時代を生きた青年の半生記の挿し絵であり、その激動の青年期に寄り添うように写真がリニアに並んでいることによるのだ、ということも忘れてはならない。わたしたちがもっとも警戒しなければならないのは、写真がリニアな物語を語っているかのように見える、そういう仕組みであり、行儀よく並んだ写真があたかも歴史の直線性を示すかのように見えている、そのようなありようについてなのだ。
ちなみにこの写真集には、同じ時代にセルフタイマーや友人の手によって撮られた李振盛自身や恋人や家族の写真もたくさん収められている。それは、李が新聞カメラマンの仕事で撮った写真の時系列に割り込み、質の高い記録写真がそのことだけで客観性を帯びてしまう問題を緩和している。だが、写真に写った「私」があれば、それが「ワタクシ」性という写真の新しい機能を発揮させるというようなことは<まったくない>ことを、わたしたちはとうに知っているはずである。
ワタクシ−−それは、他者との関係の中でしか生じえないものだ。わたし自身の「ワタクシ」と他者の「ワタクシ」……そういえば、文化大革命の渦中にあった人びとの回想を読むたびに、その関係が奇妙なほどに薄いことに思い当たる。このことが文革の震央にあるなどと散文的なことをいうつもりはまったくないが、それは、あの広大な中国を一〇年にわたって席巻した熱狂にいつもどこかでつきまとっている「うら寂しさ」につながるのではないか。
誇らしげに毛沢東の肖像を掲げた数多くの人びとの目に輝くワタクシ、それとまったく同じ熱意をもって隣人を告発する人びとの目にもやはり輝いているワタクシ、その輝きが確信に満ちていればいるほど、そのまなざしの持ち主の表情はつねに寂しい。
*『紅衛兵の時代』張承志/岩波新書/一九九二年
『紅色新聞兵』李振盛/ファイドン/二〇〇五年
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