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三島
靖 MISHIMA Yasushi |
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| 31:名取洋之助写真賞創設を祝う
2004.7.5.
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新聞でご覧になったかたも多いと思うが、日本写真家協会が「名取洋之助写真賞」の創設を発表している(7月2日)。
協会が社団法人となって五周年になるのを記念したもので、ネット上の新聞記事によれば「若いフォトジャーナリストの育成を目指し、プロ、アマを問わず30歳未満が対象。写真賞は賞金30万円で、東京、大阪で写真展を開催する。奨励賞(賞金10万円)も1人選ばれる」というものだ。(1)
「選考委員は写真家・田沼武能、写真評論家・金子隆一、作家・椎名誠、ジャーナリスト・鳥越俊太郎の各氏。 応募締め切りは05年7月20日。問い合わせは同協会へ」とのことで、記事は「名取洋之助氏(1910〜62)は写真家、編集者としてドイツ流のフォトジャーナリズムを日本に紹介し、戦後、『週刊サンニュース』『岩波写真文庫』を創刊したことで知られる」で終わっている。
追認型でなく発掘型の写真賞を作ろうという考え方はありがたく、テーマをはっきりさせたことで、既存の若手向け公募展のありかたにもよい影響があればと期待するが、ひとつだけ小さな疑問がある。それは、このような趣旨の賞に名取洋之助の名がなぜ冠されたのか、ということだ。
名取洋之助が日本のフォト・ジャーナリズムにもたらしたものとは何だったのだろう。
それは、名取が亡くなったとき前妻のエルナ・メクレンブルク(この女性がいなければ名取洋之助という存在はなかったであろう)が行った追悼の挨拶に、語りつくされている。
「カメラは単なる技術的な道具であり、撮された写真は精神がなにかを伝えるための手段に過ぎませんでした。この道具を使って、彼はフォト・ジャーナリズムのなんたるかを人々に教えこもうとしました。フォト・ジャーナリズムなど、日本ではまったく未知の分野であった時代でした。彼はさらに、フォト・ジャーナリズムと関連の深い、グラフィック・アートの明快さを、人々に伝えようとしました。そういう外国で発達した考えを日本に持ちこむ反面、彼は日本の<ものの美しさ>を人々に認識させようとしました。日本の伝統的な日用品や手工芸品の価値を外国に知らせようと努めました」(2)
この言葉にそってごく簡単にたどるなら、名取の功績は、まず写真から趣味工芸的なフェティシズムをはぎとり、マスコミニュケーションの素材としたことだろう。「機能」で一体化したカメラと写真が、飛躍的に活躍の場を獲得するようになった、という功績が第一。第二に写真という素材を自在に切り貼りし、添付したテキストと共振させる手段で、「精神」を「明快」に「伝える」メディアの方法論を教えてくれたこと。そのシステムを担う編集者やグラフィックデザイナーの地位を確立したことや造本・印刷の向上への貢献も、忘れてはいけない副産物だろう。この二つを、教科書どおりの教条主義ではなく徹底して感性によって行ったことも大切なことだ。現代の印刷メディアが「機能のなかのアート」というべき感覚的作業を楽しみつつ制作できることも、遠く名取の方法論に負っているといっても決して間違いではない。
しかし、その方法論をさらにひらたくいうならばどうなるか。
それは「広く・必要充分に・一発で・伝える」ということだ。そのためには、撮影の現場にいた写真の撮影者の存在は無視されるということ、反対にテキストの書き手や誌面の組み手はその現場にいなかったということ、あるいは記事を見た読者に個別の読みや内省が起きないのではないかということ−−こうした問題は、考えられもしなかったということもまた事実なのである。ここに、追悼の言葉にも出てくる「伝えようとした」「認識させようとした」ところの「精神」とは何か、という問題が現れる。名取洋之助という人にとってそれは「宣伝」や「広報」として表現可能なものであって、結果としてそれらがいかにあっけなく「国策」と結びついてしまったか、ということなのである。
念のためいうが、私は名取洋之助が戦争協力者だから報道写真賞の名称にそぐわないといっているのではない。記事にあるように「戦後、『週刊サンニュース』『岩波写真文庫』を創刊したこと」で、戦中の行動をすすいで余りある貢献をしたという議論もあるかもしれないし、戦中のことを持ち出すなら木村伊兵衛賞、土門拳賞そのほかはどうなるのか、という話になるだろう。だいいち賞の名はあくまで冠であって、名称となった人物の方法論に順じて選考や授賞が行われているはずはないし、逆にそんなことをすればかえって賞の可能性をせばめてしまう。
それでもなお、私たちは名取が「教えこもうと」してくれた方法論の力に感謝しながらも、それを完全に乗り越えていかなければならない。すでにその道を進んでいる写真家がいるかもしれない。あるいはいないかもしれない。この一文を私に書かせた「小さな疑問」に戻っていうなら、木村伊兵衛賞、伊奈信男賞、原弘賞、土門拳賞、藤本四八写真文化賞、亀倉雄策賞、三木淳賞、と、名取の周囲にいて名をなしたひとびとの名がほとんど賞に冠されているにもかかわらず、その中心にあった名取洋之助の名は、なぜ空席だったのか、ということなのである。その名のもとにひとりの人材を評価することは、その空席を選んだことよりもはるかに重い。主催者がとまどうほどさまざまな方法論で、多くのひとが応募することを期待したい。
(注)
(1)http://www.asahi.com/culture/update/0702/008.html
(2)『わがままいっぱい名取洋之助』(三神真彦/ちくま文庫)に所収
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