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五月病の季節もそろそろ過ぎる時期だが、皆さんはどのように過ごしておられるだろうか。
ちなみに五月病とは、学生でいえば新入生、会社員でいえば新人社員が罹患するものだそうだ。私の場合からして、てっきり毎年なるものだと思っていたのだが……。
前回の一文を私は、レニ・リーフェンシュタールについて何かを書いてみるための「まえがき」のつもりで書いた。
しかしいくつかの理由で、私は続きをいつもの書きかたでは書けなくなってきた。その間にも、この問題にさまざまな形でかかわる気がする多くの写真がつぎつぎに現れ、私はひどく煮詰まってしまった。
今回はとりとめのない「おしゃべり」になってしまいそうだが、このところ私が感じていたことを、まとまらないまま吐き出すつもりだ。「バカかよお前は」と思われたかたはぜひ、私の足りないアタマの働きに活性剤を与えていただきたい。
いきなり余談めくが、私のつまずき始めは、国会議員の国民年金未納騒ぎである。
前回の一文を掲載したとき私は、まさかこんな展開になるとは思ってもみなかった。政治的にはアホだがいっそそのままいけば写真を考えるには面白いことになりそうだ、というような文脈で菅直人のことを書いたが、あっという間に問題は当人のことになってしまった。冗談ではなく。
それはともかく、私が停止してしまったのは、この騒ぎには論理と仁義をもってする思考と行動を凝固させる作用があるからにほかならない。この騒動を最低限の論理と仁義をもって終息させるとすれば、全国会議員と閣僚の報告をへて(そういえば地方議員はこの場合いいのだろうか)、例のミエミエな「追い払い」をもって「禊ぎ」をすませ(もっともそんなものを「禊ぎ」などと称された場合、全右翼は一丸となって国会議事堂に突入すべきだろうが)、両院総選挙をへて再組閣を行うしかないだろう。年金が足りないといっている現状で選挙にかかるカネには目をつぶるとしても、はたしていまの有権者が「論理と仁義をもって」そんなことに応じうるだろうか。
話題を戻そう……。
亡くなる直前に撮影された記録映画『アフリカへの想い』(レイ・ミュラー監督/Leni Riefenstahl-lhr
Traum von Afrika)の中で、乗っていたヘリコプターの事故で負傷し入院してさすがに弱気になっていたという事情もあったにせよ、レニ・リーフェンシュタールは私が知る限り初めて、彼女自身の言葉ではっきり語っている。
「わたしには深く反省していることがあります。それは第三帝国との関わりのすべてです」
私にはドイツ語がわからないので、それが字幕の字面通りの反省や謝罪かどうかというニュアンスまでは理解できなかった(これまでリーフェンシュタールが公言してきた通り、不運だったという文脈かもしれない)。とりあえずドイツ人の友人に機会があったらビデオを見てくれるように頼み、あらためて関連する著作や記事(ドイツ語のものが直接読めないのは致命的だが)を読んで過ごしていた。
ご存じのように近年リーフェンシュタールには、ドイツで再評価の動きがあった。
世界の支社を通じて「話題になる美術本」を扱う大手版元とはいえ、本来ドイツの出版社にほかならないタッシェンから写真集が続いて出た(二〇〇〇〜二〇〇二年にかけ、百歳の誕生日を記念してということだった)のは、これまでのドイツでの無視に近い冷遇から考えると驚きだったし、前後してベルリンで初の写真展が開かれた(しかも「オリンピア」で)のも、信じられない気がした。が、日本ではそのこと(ドイツでリーフェンシュタールにある種の復権がなし崩し的にもたらされたという事実)がさほど大きな話題にはならず、むしろ年齢を偽ってダイビングの免許を取得し90歳代で水中写真家として華々しい「再デビュー」を飾ったという動静のほうが、注目されたと記憶している。結果として彼女の「第三帝国との関わり」は悲劇の生涯として外在化され、「ほんのひとときナチスに惹(ひ)かれたことが、今秋一〇一歳で逝くまで非難の対象であり続けた」という逆境で「どんなことがあっても人生にイエスと言う」孤高の女性芸術家、と伝えられるようになってきてもいる(1)。
一方で、日本ではリーフェンシュタールが出演・監督した映画のすべてを見るのは簡単でないため、日本で彼女について書かれたものの大半が実際の映像を十分に見ずに書かれたものだという問題を濯ぐ、綿密な研究も出てきている。たとえば『美の魔力
レーニ・リーフェンシュタールの真実』(2)は、彼女の関わった映画を徹底的に見る態度を貫き、とくに「オリンピア」についてはビデオとパソコンを駆使して編集技術にまで迫ったという労作だ。
が、映像への検討が綿密に加えられるほど、リーフェンシュタールへの政治的判断は、この程度のことがどうしてそんなに問題なのか、という「中立的」なものになっていく。たとえば同書はいう。
「ナチによる長期間で大規模な宣伝活動のうち、リーフェンシュタールのそれは有名ではあっても小さな一部に過ぎなかったし、彼女の映画が『歴史を変えた』とはとても思えない。リーフェンシュタールの作品を見なくとも、ドイツ人はナチというものがどういったものであるかは十分に知っていたのである」(2)
リーフェンシュタールが、言葉のひとではなく映像表現者であった(しかもほぼすべての作品において画面に登場するしないを問わず<主演女優>であった)こと、波乱に満ちた生涯を過ごしたこと、そして美しくまたナイーブであったこと――それらは彼女の人格と作品に対する解釈の自由をもたらすはずだった。しかし、彼女が第三帝国の政治活動にかかわる映画を撮ったこと、そのことについて公式には謝罪も訴追もなく戦後も映像表現者であろうとし続けたこと――これが彼女の人格および作品に対する解釈の一点凝縮をもたらした。
戦後のドイツ人はあらゆる方法をもってナチズムを忘れまいとした。その論理と仁義の背後で、一定の手続きを経ることで相当な数のナチ協力者が戦前と同じような社会的地位を戦後も維持することができたことはいうまでもない。リーフェンシュタールは、その傲慢なほどの戦前との連続性の広言において(ナチスに関係する映画は撮ったが自分はナチスではない! 戦前も戦後もわたしは芸術家であるにすぎない!)、ドイツ人の精神的な「かさぶた」のむずがゆさを、ひとりで引き受けるはめになったのである。
で、私自身は、リーフェンシュタール自身が生きている間に「罪」を認めるかどうかということはどうでもよくなっていた。むしろ必要ないと思っていた。
私もリーフェンシュタールの映画作品は容易に見られるもの以外見ていないが、たとえば遺作となった「ワンダー・アンダー・ウォーター
原色の海」(Impressionen unter Wasser)と、戦前の代表作のひとつ「オリンピア」には、題材もテーマもまったく違うのに映像表現として驚くほどの共通点がある。ご覧になればすぐ気づくだろう。あっけないほどだ。その連続性。そこに断絶がまったくないことについてリーフェンシュタールがまるで語らないこと――私たちが断絶があるべきだと思い込んでいること自体が彼女にとってはおかしいのだから、語ることなどあるはずがない!――逆説的ないいかただが、この連続性こそが、私たちがすべてのリーフェンシュタール的な映像の魅惑、つまり映像の運動がポルノグラフィとしての機能を発揮し、見たものたちはそのあやうさを知りながら運動の主体へと惹かれていってしまう、という仕組みの「罪」についてあらためて考えるためのヒントなのだ。
とはいえ、リーフェンシュタールが生涯の終わりに残した言葉が本当の反省と謝罪であったのなら、この問題――リーフェンシュタールと同じナイーブさで彼女の「連続性」の復権を単純に喜ぶことも含む――の様相は、やや違ったものになってくると思うがどうなのだろう。
「どんなことがあっても人生にイエスと言う」――この言葉は『アフリカへの想い』で「深く反省していることがある〜」のすぐ後に語られる。見ていた私は(彼女の反省の言葉を待っていたわけではないが)「深く反省していることがある〜」に心を奪われた。しかし、「どんなことがあっても〜」のほうに注目するひともいるということだ。ジャーナリストでさえこの言葉を主題に選んだのだから、こちらに注目するひとのほうが多数派なのかもしれない。
その記事では、こう語られる。
「ナチス党は国民が支持した合法党だった。国の行く末を知らずにヒトラーを信奉した人は多い。」(1)
『美の魔力 レーニ・リーフェンシュタールの真実』にもこのような記述がある。
「当時の圧倒的多数のドイツ人が同様にナチに熱狂していたことを私たちは忘れてはならない。(略)この点では大半のドイツ人には彼女を責める資格はないように思えるだろう」(2)
しかし、圧倒的多数のドイツ国民の熱狂と興奮に支持されたはずのナチ党は、その全時期における国政選挙において一度たりとも投票数の過半数を獲得したことがない(最高でも四三・九パーセント)。投票者の過半数が支持して<いない>のである(3)。支持なき体制とそれがもたらす悲劇への止まらぬ熱狂――全体主義に対して批判的な態度でいようとするならば、すべてのリーフェンシュタール的な行動について、この「芸術家」と同じレベルでナイーブであっては、決してならないはずなのだが……。
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