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三島 靖 MISHIMA Yasushi

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29:江角マキコにもっと「将来泣いてもいいわけ?」と叱ってほしいわけ?

2004.3.30


「将来、泣いてもいいわけ?」と、国民年金加入をよびかける社会保険庁のキャンペーンに起用され、ポスターやテレビCMに登場してきた江角マキコが、国民年金に加入していなかった。宣伝に投入された費用は六億二〇〇〇万円。厚生労働大臣の坂口力が社会保険庁に対して発した「緊張感を持ってやってほしい」というコメントがますます脱力感を増す、苦笑するしかない出来事だ。
 ところが、民主党代表の菅直人が、江角を国会に参考人招致するといい出したから話がややこしくなった。
 せっかく世論を味方につけて政治論戦ができるチャンスに必ずといっていいほど問題をアホな方向に転がしてしまうのが、菅という政治家の絶望的なところなのだが、江角に国会で事実関係を聞くことが国民の年金に対する注意を喚起する、というその主張には、ある意味で面白い問題提起が含まれている。
 もし江角が参考人招致されたら問われるのはもちろん、国民年金に加入していないにもかかわらず国民年金キャンペーンのキャラクターを引き受けたのはどういうつもりなのか、という責任問題だろう。むろん江角に悪意があったはずはないから、質疑はやるだけむなしい。一年近い契約期間中に気づいて加入もせず、今回社会保険庁の抗議を受けて初めて加入したのだから、せいぜい無知だっただけだ。三十七歳にしてその程度の「お約束」にも気づかなかったのかという問題は別にしてだが。  今回の出来事が国民年金の加入率や保険料未納率に影響するとは思えないが、将来泣いてもいいのかという江角の映像を見せられてきた人の大半が、ええ加減にせえよと思ったことは間違いない。だとすれば、はたして江角その人に何らかの責任はあるのだろうか。菅の、政治的にはかなり方向違いな主張は、実はこの点に関わるから面白いのである。
 とはいうものの、未納率四割といわれる貴重な年金保険料から使われてしまった六億二〇〇〇万円を、江角に返せといえるわけがない。このキャンペーンに江角マキコという人が起用され、あたかもその人自身の言葉であるかのように<将来泣いてもいいのか>という脅しめいた科白が流通してしまった経緯がいかなる政治性を帯びていようと、江角はあくまで「被写体」に過ぎない。彼女が現実的に果たしたのは、撮影がうまく行くように期待通りのポーズをとる程度の「職人」としての役割だけだ。
 だとすれば、その現場で撮影をしたカメラマンはどうか。こもれ当然ながら、あんたの撮った写真で六億二〇〇〇万円がなどとといわれたら、どんなカメラマンでも困惑するだろう。逆にいえば撮影者もまた、この問題に関しては「職人」にすぎない、ということである。ならば、それらの「職人」を組織した広告代理店がということなのか。いや彼らもまた自分たちのことは職能集団だというだろうな。やはりその代理店に発注した社会保険庁がそもそも……私はなにも、特定の個人から六億二〇〇〇万円をムシろうとしているのではなく、つねづね不思議に思っていることがあるのだ。それは、ある広告やキャンペーンが時の話題になると、登場したキャラクターの個性や制作者の能力が華々しく讃えられるのに、ひとたびこのような問題が起きるとほとんど例外なく、あたかも集団的無意識が手続きミスをしたかのように処理されてしまうのはなぜなのか、ということである。
 今回の出来事については、江角(の所属芸能事務所)が謝罪をし、社会保険庁はすでにメディアへの掲載が決まっているキャンペーンポスターについては江角の写真をはずした形で発表するよう指示、あらかじめ江角との契約もこの三月末で終わることになっている、ということで落ちつくようだ。が、私はどうも落ちつかない。
 都合の悪い写真を消すなどという行為は、スターリニズム以外のなにものでもない。いや広告だから写真の操作は当然だというなら、写真に写った人がキャッチフレーズを語っているかのようにデザインしたからこその広告だろう。その写真だけはずして文字だけ残したポスターを使ったりすれば、国民年金制度そのものが幻想に過ぎないと「広告」するようなものだということを、どうして関係者の誰も指摘しないのか。だいたい、写真に写った自分だとはいえ、自分という存在を責任のなすり合いのような経緯で消されてしまった江角こそ、むしろ逆ギレしてもいいのではないか。あるいは江角を撮影したカメラマンこそ、撮影した写真がこのように「ええ加減」に扱われることに対して怒りの声くらいあげてもいいのではかろうか。
 菅直人の「招致」案は、政治的にはアホである。しかし、そのまま菅に吠え続けていただいて、間違ってその案が実現しないかと私は多少期待してもいる。実現したりするとたいへんにやっかいなことになるが、そのやっかいさこそ、私たちがいまの時代にメディアを通じて何かを見るにあたっての要諦でもある。私たちが見ているものが、どのような思惑と政治によって作られているのか、私たちはもっと当たり前に知っておいたほうがいい。
 そんなふうにこの文を書いているうちに、3月26日に江角自身が謝罪と釈明の記者会見を開き、ことは江角個人の問題として何となく「手打ち」になってしまった感がある。キャンペーン費用の六億二〇〇〇万円のうち江角の取り分は不明だが、「お返ししたい気持ちでいっぱいで事務所と相談している」とのことだ。四〇年間、月額一万三三〇〇円を払い続け、年額七九万七〇〇〇円を受け取ろうとしている国民年金加入者にこのコメントがどう聞こえたか、私は知らない。

***

「わたしには深く反省していることがあります。それは第三帝国との関わりのすべてです」
いつも、心のどこかでこの言葉を待ち続けていた。それが意外なほどあっけなくレニ・リーフェンシュタール自身によって話されているシーンを見ているというのに、なぜかカタルシスは訪れなかった。
 二〇〇〇年に撮影され、日本ではレニが亡くなった〇三年の秋に公開された「アフリカへの想い」と遺作となった「ワンダー・アンダー・ウォーター 原色の海」のDVD(注)を、私は見ている。このことはまたあらためてお伝えする。


(注)
「アフリカへの想い」Leni Riefenstahl-lhr Traum von Afrika (ビデオメーカー)
「ワンダー・アンダー・ウォーター 原色の海」Impressionen unter Wasser (エスピーオー)

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