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三島 靖 MISHIMA Yasushi

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25:秋の美術館めぐり――東京都写真美術館・2003年秋

2003.11.11



 02年夏のロカルノ映画祭で見逃し、ここで紹介だけして、私自身どこかで上映される機会を心待ちにしていたドキュメンタリー映画「戦場のフォトグラファー ジェームス・ナクトウェイの世界」が東京都写真美術館で上映された(1)
 戦争写真家のジェームズ・ナクトウェイをとりあげたドキュメンタリーで、本人および関係者へのインタビュー、実際の紛争地への同行撮影などをおりまぜた、オーソドックスなスタイルの人物ルポである。
 すでにご覧になっているかたも多かろうし、新聞や雑誌にたくさんの記事が載ったので、あらためて内容を追っての解説はしない。
 この映画、率直にいって私には喰い足りなさだけが残った。
 映画の中で、ナクトウェイ自身の発言は「写真を通して世界を発見し、自分自身をも発見していった」とか「強く訴えて皆に声をあげさせれば、写真は戦争の解毒剤になりうる」というような教科書的なものに終始している。むろんこれはナクトウェイの配慮によるものであることは理解でき、全編を通じて彼がいかに冷静で穏やかな人物であり、多くのカメラマンよりも危険な撮影をするにもかかわらず、いかにも戦争写真家でございという突撃隊長タイプではまったくないことはよく伝わってくる。だが、現在の私たちが戦争・戦場写真とその撮り手について知らなければならないことは、もはやそのような<入門編>でないことは当然だろう。
 映像の面では、ナクトウェイ自身の使用カメラにマイクロカムを取り付け、現場で彼のカメラがどこへ向けられるかが上映される、という工夫がある。しかし、これはどうだろうか。ナクトウェイのファインダーワークがリアルタイムで見られるわけではないので、かえって歯がゆいし、危険な取材地でそんな収録方法に協力しているナクトウェイ(マイクロカムからケーブルが録画装置につなげられており、その機材をデイパックで背負って行動している)にすまない気にさえなる。
 ただ、せっかくの映像的工夫なのだからと熱心に見ていると、それなりに気になるところも出てきた。技術的にわかりにくかったことは何人かのプロカメラマンにしつこく聞いてしまい、「なぜ戦争写真の映画をカメラオタクのようにみるのか」と批判されたことは告白しておくが。
 ナクトウェイが使っているのはキヤノンのEOS-1シリーズである。同社のプロ用最高級カメラだが、プロカメラマンならごく一般的に使うカメラだ。自動露出測定も、自動焦点調節も、秒間の連続撮影も、ほぼ完全にカメラまかせにできるカメラだが、ナクトウェイは露出を自分自身で設定するマニュアルモードにし、絞りをF5.6ほぼ一定に固定してシャッター速度を調節して撮っている。また、相当激しく連続シャッターを切る場合でも必ず1コマごとにピントを合わせるモードで撮ってもいる。主要被写体でピントを合わせて、わずかにカメラを振る、という構図を重んじた撮り方をしていることもわかる。そしてかなりしばしば、単体の露出計をポケットから出してその場の露出を計っている。
 プロカメラマンなら、カメラまかせにせず必ず確認する、という意味で当然の作業らしいが、同行して撮影している映画スタッフのほうが伏せてしまうような状況の現場で、上の動作を淡々と繰り返すナクトウェイの姿はちょっと異様だ。カメラの自動測定にまかせておけば大丈夫ではと思われるのに、つっ立ったまま露出計で計っている姿もそうだが、思わず一歩下がりたくなるような状況下で、徹底的に連続シャッターを押すのはもちろん、その間じゅうカメラの動作状況を知らせる電子音を鳴らしたままにしていたりする。状況に関係なく一定クオリティの「作品」を得るための手順を守るという繊細さと頑固さ、そして、電子音が鳴っていても気にしない、あるいはただ止め忘れただけ、というような相当なずぶとさも持ち合わせていなければ出来ないことだ。
 これまた喰い足りなさの続く関係者へのインタビューの中で、唯一、このようなナクトウェイのことを鋭く言い当てているのは、映画の後半で出てくる彼のプリンターの発言である。
 ナクトウェイ自身は嫌がるかもしれないが、と断った上でプリンターは(おそらく取材には同行せずナクトウェイのネガとプリントを見るだけで)、「外科医のようだ」といっている。
 私は、ナクトウェイの戦場撮影のワンシーン、それにこの発言たったひとことで、前置きは充分だという気がする。
 そういう写真家がいる、そういう方法論をとっている。そのありようがよくわかる。
 だから、どうなのか。大切なのはそこだ。
 しかし映画にはそこがないし、私にもわからない。
 プリンターとナクトウェイの作業上のやりとりも映されるのだが、ナクトウェイの指示がプリントにどう反映されていくのかが明確に示されないので肝心なところはわからない。

 映画の終わりに、硫黄鉱山労働者の撮影取材で、恐るべき量の黄色い塵を浴びながら撮影するナクトウェイに、彼自身の発言がかぶる。いわく、"If compassion is overwhelmed by my ambition as a war photographer, that will mean I have sold my soul."−−「私の戦争写真家としての野心が被写体への同情を超えたなら、私は魂を売り渡したことになる」。
 そこが私には、こう聞こえた。
「もし私が戦争写真家として実現しようとするものを忘れて、被写体への同情だけで写真を撮ったなら、私は魂を売り渡したことになる」−−"If compassion overwhelms my ambition as a war photographer, that will mean I have sold my soul."
 何か、ナクトウェイの撮影の態度からするとそのほうがむしろ倫理的に正しいような気がしたのだ。
 だから、どうなのか。
 いや、じつは私には何もわかっていない。

***

 その日は、東京都写真美術館での写真展のほうを見なかったので、日をあらためて見に行った。

「新しい写真表現に挑戦! 写真新世紀展2003」(11月28日まで)
「写真と絵画の展覧会 士(さむらい) 日本のダンディズム」(11月24日まで)
「最後の銀塩カメラマン 不肖・宮嶋 報道写真展」(11月24日まで)

 この三つが行われていた。

  

 ナクトウェイと宮嶋はどういう関連なのか。これは映画は貸しホール上映だろうから、とくに美術館としての企画意図があったわけではなかろう。
 ただ、宮嶋茂樹という人の写真については注意しておきたいことがある。
 ジェームズ・ナクトウェイが、たんなる正義の使者ではおそらくないのと同じ意味で、写真家としての宮嶋は、一般にイメージされている(そう期待もされている)突っ込み上等のオフザケ兄貴では、たぶんまったくない、ということだ。本人が物腰のていねいなふつうの人だから、という話ではなく、もっと別のことである。また、そもそもフザケて突っ込んでいたらとっくに命がないだろう。
 うそをつけ、あいつ紛争地に行っちゃフザケた写真を撮っているじゃないか、とおっしゃるかたは、ぜひ一度行って、「写真だけ」をご覧になってくるといい。
 じつにまっすぐに、報道写真の教科書のように撮られた、「ずらし」の少ない写真が予想外に多いことに気づかれるはずだ。これは内戦紛争地にもブランドギャルはいるのだという「オネーチャン写真」についても実は同じである。
 そして、あらためて写真説明を見ていくと、この写真のウラはじつはこうで、こういうホンネがあるんだよと、日常会話のノリで饒舌に状況が語られるのはすべて文字によっている。この「日常性の暴露」も、じつのところ注意深く読む価値があるが、それは別の機会にゆずるとして、つまりこの写真と文字との組み合わせの仕組みは、報道写真を見る側の問題をかなり鋭くついているのである。
 ただし、現実問題として、これらの写真と写真説明、そして撮影者のメディア上のキャラクターを斟酌しながら見られる観覧者は多くはないだろう。かといって、そのメディアキャラクターがなければ、このような写真を積極的に見に来る人が多数いるかどうかは怪しい。
 ナクトウェイの発言ではないが、宮嶋あっての成果としてかなり多数の人がこの写真展を見たとして、彼らが実際の政治行動、たとえば投票をとおして「戦争を解毒」しようとするのだろうか。このところ同じ話題ばかりじゃないか、といわれるのは承知だが、そのことをつい考えてしまう。

 そんなふうに見たせいか「士」のほうは、あまりいい気持ちでは見られなかった。 「誇」「憧」「望」というデカい文字が踊り(図版説明にまでついている!)、「ダンディズム」などといわれてしまうと、ただでさえそういうリッパなものには縁のない私など「お呼びでない? コリャまた失礼っしましたぁ〜」(2)とコケてみせたくもなる。チラシを見ると、「誇」は偶像、武勇伝への「憧」、外洋へ「望」む士の姿、などとある。いま、誰がそんな気分になっているかね。渦中の自衛隊員にさえそんな奴はさほど多くないと思うぞおれは。
 下岡蓮杖の写真をセットで新たに収蔵する機会があったのも、この企画のひとつのきっかけだったようで、会場にはそれが展示されてもいた。それらだけで何か企画展示をするには小さすぎる、少なすぎる、という判断もあったのかもしれないが、その「写真」をじっくり見せていただけて、美術館という場所で1枚の写真をもとにさまざまな想像に遊ばせていただけ、なおかつ正確な資料や批評なども必要ならば見られるということだったらば、「士」的なるものにはご縁にあずかりたくない一都民としては充分であったとも思う。
 もっとも、美術館観覧者の一都民として何かいわせてもらう権利があるとすれば、こうだね。もう少しわかりやすくいっておこう。
 さむらいがどうしたこうしたといいたいんなら、加藤泰の「幕末残酷物語」、いやそこまでは求めん、せめて黒澤明の「七人の侍」でも見てからいってくれ! 都民やめるぞ!(3)


(1) 9月6日〜10月31日/「WAR PHOTOGRAPHER」クリスチャン・フレイ監督・01年スイス/ナクトウェイのプロフィールは映画の公式ホームページにある。http://www.mediasuits.co.jp/senjo/james.html
(2)「シャボン玉ホリデー」における植木等のギャグ。
(3)「やめれば」というリアクションが予測されるが、それを「逆ギレ」という。

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