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三島 靖 MISHIMA Yasushi

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21:南半球の春 「II」 −−−ギャラリー案内のつもりが…

2003.9.27


 本を数冊とメモ用紙、それに着替えを少し持って、シドニーで数日の休暇を過ごしてきた。
 シドニーを選んだことにさしたる理由はない。八月に訪れたヨーロッパが暑かったうえ東京の残暑も思いのほか厳しかったので、これから春を迎えるという南半球の気候に魅力を感じたのだ。友人の芸術家にシドニーのあるギャラリーとの話がもちあがっていて、行く機会があるなら見てきてもらえまいかといわれていたことも、気になっていたかもしれない。
 ただ、初めて訪れてから十五年以上が過ぎてしまっていて、そのことへの懐古の気持ちがないわけではなかった。かつて子ども向けの本を作るため、シドニーを起点にオーストラリアのあちこちで撮影を行ったのだ。カメラマンと移動し映像とエピソードを集めて伝えるという、スタンダードな仕事ではあるが、軽飛行機から空撮するとか、自然保護地域で動物を撮るとか、鉱山の地下深く降り採掘を撮るとかいうことに立ち会った緊張感が(海外旅行の経験さえろくになかったのだ)、このところ写真にひどく疎遠さを感じるようになってしまっている私には夢のように懐かしい。そんな記憶の出発点としてのシドニーへ誘われたような気もする。
 再訪かなわぬ間にオリンピックがあり、それにともなう都市開発もあったろうが、シドニーはヨーロッパの都市が同じ時間を経たより大きく変化していた。表面だけなぞっても、オープンスタイルのカフェでワインを楽しむ様子など目新しいし、アジア料理とそのバリエーションがレストランからフードコートにまであふれているのも、私には新鮮な眺めである。
 そんな気分にもなろうかと持っていった本の一冊が『イタリアをめぐる旅想』(河島英昭/平凡社ライブラリー)だ。イタリア留学中に旅した場所を十四年の時をへて八〇年代初めに再訪したイタリア文学者による、美しい紀行文だ。最近はじめて読み同じような魅力を感じた『ガリマールの家』(井上究一郎/ちくま文庫)で、仏文学者、プルースト翻訳者として知られる著者が半世紀近く前のパリ滞在を書いた、その文章の魅惑的な翳りもしかりだが、パリやローマというのはなんと美しく記憶をたどれる都市であることか。むろん私がパリやローマを訪れたとてことばにする才があるわけでなく、十五年という間隔で訪問しただけでシドニーを描けるとも思えないが、それは別としてもやはりヨーロッパの都市と比べてしまうとシドニーは、カメラマンふうにいえばたしかに「画にならない」――ただ、たとえば有名な「エアーズ・ロック」が先住民にとって「ウルル」であるように、郊外の景勝地「ブルー・マウンテンズ」に近い駅が「カトゥーンバ」であるような、二百年ほどの西欧人の歴史の背後に、数万年規模の“ドリーム・タイム”が眠っている、そんな場所ではあるのだが――むろん、その画にならないおおざっぱさがよさでもあるわけで、この街のほどほどに新しもの好きなところも、アジア人である私にも居心地のよさが感じられる結果となっているのだろう(1)
 さて、再訪記はまた別の機会にして、その「新しもの」の中のおそらくひとつである、美術や写真を購入して鑑賞する、ということについて紹介してみよう。
 ちょうど私の部屋から散歩のついでに行ける場所に、スティルス・ギャラリーとロザリン・オックスレイ9・ギャラリーという、写真作品の扱いでは定評のあるギャラリーがあった(2)
 ちょうどスティルスではロビン・ステイシーの、ロザリン・オックスレイ9ではパトリシア・ピッチニーニの個展がたまたま開催中だった。滞在中は会期にまだ間があったがミュージアム・オブ・コンテンポラリー・アートでトレイシー・モファット(11月中旬〜来年2月末、私は東京で作品をみている)の個展が予定されており、今秋(春)のシドニーではオーストラリアでいまもっとも評価されている、写真を使う女性アーティスト三人(3)の作品がみられるわけである。
 ステイシーは「THE COLLECTORS NATURE」という、収集家の世界を映像化した作品シリーズを展示していた。昆虫や植物あるいは書物など収集家のコレクションの、モノの集積そのものによって描き出される不思議な世界観を、たとえば植物標本ふうの、あるいは同時代の静物画ふうの仕立てによって見せている。そしてライデン大学などに実際に収蔵されているモノを撮影することで、このシリーズがひとつの「ドキュメント」でもある(撮影許可をとりオランダに撮りに行くという、たんなる“ブツ撮り”以上の記録性が加わる)という、写真的な軸を立ててもいる。
 ピッチニーニの写真作品(「PRECAUTIONARY TALES」)は、オーストラリアの若者たちの一種のトラウマを、映画スチルのように演出された物語的映像に映し出す。オーストラリアのどこか田舎びた風物を代表するパネルバン(貨車型の貨物トラック)と、孤独な少女が、それぞれのカットのどこかに現れては消える。少女の首には奇妙なスリットがある。それはトラックのパーツのようでもあるが、同時に展示されたビデオアート作品に現れたその少女が水中を漂う姿から、「鰓(えら)」でもあるらしいことが想像される。かつてオーストラリア中部でも撮影の仕事をした私は「ロードトレイン」とよばれる二両連結の巨大貨物トラックがすごい速度で荒れ野の一本道を走り抜けていくシーンを思い出す。そんな田舎町からも若者たちは“進化”の過程をへて都市へと出ていく、そういうライフストーリーと過去の記憶を暗示してでもいるかのようだ。
 画像の内容に立ち入るのはこれくらいでいいかと思う。というのも奇妙なことだが、私はその二つのギャラリーで作品をみたとき、画像に深入りするよりも、それらの作品のコンセプトだとか仕立てが「欲しい」ような気がし、それがすべてだったように思うのだ。
 休暇中、私はベッドルームが三つに浴室が二つ、リビングルームとダイニングキッチンがある部屋にいた。東京では考えられないが(住んでいる部屋はワンルームなのだ)たいした出費でもなく滞在できた。とはいえ、リビングルームが広すぎて、かえって身の置き所がない情けない思いをしたが。
 その居間には、銭湯の壁の絵を思い出す大味な続きの風景画が、ひとつの壁に二枚並べて、別の壁に一枚、掛けられていた。一枚の大きさが事務机二面ぶんほどだろうか。ほかに同じくらいの大きさの鏡。これが滞在中、どうにも間が持たない感じがしてならなかった。私なら何に掛け替えるだろう。なんとなく、写真だろうか……。そんなふうに思いながら散歩に出てギャラリーに立ち寄ったとき、彼女たちの作品がどれほど“私の部屋”にぴったりに思えたことか。
 私が滞在していたのはやや高級で閑静な住宅街である。東京でむりにたとえるなら成城あたりの(不動産の価格を別として)雰囲気だろうか。そんな住宅街の中に現代美術のギャラリーや服飾店が散在している。さきの二つのギャラリーを含め私が立ち寄ったいくつかの美術ギャラリーも、初めて行くには迷うほど宅地の奥まったところにあるが、相当な広さの美しい建築だ。ちなみにスティルス・ギャラリーはインテリアショップと同じ建物になっている。
 こうしたギャラリーで売られる写真の制作者たちが買い手を意識して作っている度合いを私は知らないし、逆に注文制作(作家自身は撮影にたずさわらない)でもかまいはしないが、私が滞在した街のゆるやかな心地よさの中で、さきに書いた作品のさまざまな要素が持つ刺激は知的にも空間的にも過激すぎず微温的すぎず、“私の部屋”にぴったりだった。そういえばプリントのサイズも充分に大きい(4)。私でさえそう思うのだから、もともとその「刺激」のバックグラウンドを作家と多く共有するオーストラリアの人たちにはなおのことだろう。実際に作品はよく売れていた。
 と、まあ結局は滞在記の域を出なかった私のこの一文、十五年後のプチブル体験、と笑っていただいて結構だが、シドニーに持っていったもう一冊の本、スーザン・ソンタグの『他者の苦痛へのまなざし』に書かれていたことが、私にはずっと気になっていた。
 それは、ソンタグが最終章で述べている、「写真を眺めるための神聖な、瞑想空間ともいうべきもの」である。ソンタグによれば、写真は広告と並べて扱われる場合はもちろん、美術館の壁にかけられていても、いわばメガストア的な公共空間における消費の対象となってしまうのだという。ソンタグがある程度理想的だとするのは、一対一で写真と向かい合える本の形ということなのだが、ならばまさに「瞑想空間」である僧坊のような“私の部屋”で、写真と一対一で向かい合えるとしたら、どうなのだろう、ということだ。もっと違う作品を掛けてみたい、ということだけでなく、その部屋にいる私は、写真に対してどのような存在たりうるのだろうか。
 たとえばいま、東京・新宿の損保ジャパン東郷青児美術館で、ゴッホの「ルーラン夫人」を二枚の「ひまわり」ではさむ形で並べて展示しているそうだが(5)、これはゴッホ自身が望んだ並べかたで、弟テオへの手紙で、このような展示をすれば「礼拝用の三連祭壇画のように色彩は輝きを増し、作品への意図を理解できる」と書いていたそうだ。
 ソンタグがいうように写真や絵画が美術館の壁にかけられた状態は結局“散歩の途中で立ち寄る場所”にすぎないのだとしたら、ゴッホの展示をそのまま“私の部屋”に持ってくることがもしできるとしたら、どうなるのだろう。私はたぶん、ゴッホの絵が「なん億」かということを忘れて、さらにこの三枚の絵に向かいあった壁に、ゴッホが「ある僧侶の肖像、永遠の仏陀の素朴な賛仰者の肖像と考えたのだ」という、アルルで描いてゴーガンに送った「自画像」をかけ、部屋の中央に坐るだろう。ゴッホがテオやゴーガンに書いた手紙にタネ明かしされるまでもなく、長らく美と調和を作ってきたものは宗教にほかならず、そのための「瞑想空間」なのである。絵画のみならず写真がそのように鑑賞され、そのために作られる、という考え方があってもおかしくないのではないか。
 いや、それはいくら何でも変だぞ、と私は思い直す。いい加減にしておかないと本当に変になってしまったと思われかねないぞ。しかし、ここまで世界をめちゃめちゃにしたのもまた宗教なのだとわかっていながら私は、もはや神頼みでもしないかぎりこの世界はもうどうしようもない、という絶望的な気分なのである。今回はとりあえず、左卜全の歌に合わせてひとことだけ、叫んでおくことにしよう。
「お〜神様、助けてパパヤ!」(6)


|*注|
(1)ただしハワード首相はもともと、アジアからの移民数には一定の制限を加えるべきだという論者である。また、最近あまり伝わってこないが「ワン・ネーション党」の反アジア移民プロパガンダも記憶に新しい。そうした突出した現象が、その共同体の「本音」を一定の割合で代弁していることは、日本の政治家の「放言」問題を思い起こせば自明であろう。

(2)この二つのギャラリーを含め、以下のところで写真を見る機会があった。訪豪のおりには立ち寄られることをお勧めする。
 
STILLS GALLERY  http://stillsgallery.com.au
 …91年開廊。オーストラリアの現代写真と写真ベースのアート作品専門のギャラリー。ドキュメンタリーからファインアートまで扱い作家は幅広い。昨年、市の南に「STILLS SOUTH」を開廊。
roslyn oxley9 gallery  http://www.roslynoxley9.com.au
 …82年にできた、将来性あるオーストラリアの新しいアーティストにとって初めての場所であることをモットーに運営されてきたギャラリー。パフォーマンスからビデオアートまでも扱う。03年ベネツィア・ビエンナーレのオーストラリア館にフィーチャーされたパトリシア・ピッチニーニのシドニーでのデビューはここのようだ。
MUSEUM OF CONTEMPORARY ART  http://www.mca.com.au
 …89年にシドニー大学によって、ニューサウスウェールズ州の後援をうけ開館。有名なオペラハウスもある、湾に面した観光スポット「サーキュラー・キイ」の古い海事会館をレノベイトした美術館。ちなみに結婚式会場として使え「アートウェディング」ができるらしい…。
Australian Center for Photography  http://www.acp.au.com
 …73年に設立され、81年から現在の場所で運営されているNPO組織。オーストラリアの現代写真、写真ベースのアートを紹介・啓蒙する。現代アートを紹介するスペースとしては歴史あるもののひとつ。ワークショップ(暗室などもある)、出版も行っている。

(3)「女流」に「三羽ガラス」……死語であるが。

(4)ピッチニーニのプリントは103.5×184.5センチ、ステイシーのはライデン大学の静物をテーマにしたものが96×150センチ。イメージはいずれも各ギャラリーのホームページで(展示とはかなり印象が違うが)みられる。

(5)アメリカのシカゴ美術館、オランダのゴッホ美術館でも試みられ、世界で三度目だそうだ。12月14日まで。

(6)「ズビズバ〜」「やめてけ〜れ、ゲバ、ゲバ」と歌われヒットした「老人と子供たちのポルカ」(詞・曲=早川博二、70年)

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