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三島 靖 MISHIMA Yasushi

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18:写真記者と爆発した“記念品”  2003.5.21
 毎日新聞社写真部記者の五味宏基カメラマンが起こした事件の経緯については、ここでは細かくはふれない。
 新聞やテレビなどで繰り返された、無知、軽率、信じられない、といった非難をあらためてするつもりもない。
 毎日新聞社はすでに5月10日付紙面を大きくさき、「検証・アンマン空港爆発事件」という記事を掲載している。できる限り手早く詳細に「総検証」を行った同社の姿勢は評価できる。しかし記者の起訴が報じられた19日現在、私にはまだわからないことのほうが多い。以下の一文には私の想像がかなり加わっている。
 事件のアウトラインは判明している。日本の大手新聞社から写真記者が戦地の撮影取材に行った。現場に落ちていた兵器を「殻と思い込んで」拾い、日本に持ち帰ろうとした。その“殻”は当然、出国空港で荷物チェックにひっかかった。検査中に爆発した。空港の職員に死傷者が出た−−これだけである。これだけだからこそ「無知、軽率、信じられない」という非難も出てくる。
 社員教育などをめぐって毎日新聞社の品位を問うような意見もあるが、会社がダメだから社員もダメ、だから写真も記事もダメだ、というのはどうだろう。少なくともイラク戦争報道については、他紙になく明確に社としての立場を表明した報道・論評が掲載されたことがある新聞と私は記憶している。このかんの写真報道をめぐっては、ロサンジェルス・タイムス紙(3月31日付)の一面トップに載った写真が、画面効果を高めるためにデジタル合成技術で創作したものだったという出来事が記憶に新しいが、かりに事件を起こした記者が「無知、軽率、信じられない」人間だったとしても、どうせ写真を撮るときもロクなことをしていない奴だろう、デッチあげのひとつもやっているんじゃないか、というような憶測は、事件とは別の次元のものである。
 しかしかくいう私も事件を知ったとき、いったい何のつもりなんだ、と感情的になってしまった。爆弾(の一部)を日本に持ち帰ろうとするとは、何を考えてのことなのか。そして持ち帰ろうとしていた爆弾を称して“おみやげ”といったのは、いったいどういう意味なのか。
 私は、手早く見られるこの記者の仕事を探した。毎日新聞社のホームページに収録されている写真を中心に見ただけだから、何かを発見するには不十分だ。しかし、その多くはない写真を何度も見るうちに私は、この事件を写真にまつわる話として急いで書いてみようと思ったのである。
 むろんホームページ上の写真にうがったヒントがあったわけではない。直近の仕事であるイラク戦争関連の写真や記事ももちろんあり、それらは話題の特異性において「特ダネ度」は高いといえるかもしれないが、写真そのものにはこれといった個性があるわけではない。ほかに、羽田空港に降り立って出迎えの家族と対面する北朝鮮拉致被害者、という写真があるかと思えば、人気スポーツの決定的瞬間をとらえた写真があり、「お天気ニュース」に添えられた四季の風物や街ダネの写真がある(1)。カメラマンといえばドキュメント写真家、動物写真家、風景写真家といったようにジャンルに特化した存在としてイメージするかた(そのほうが普通だろう)は驚くかもしれないが、このような仕事の多様さは、新聞カメラマンの場合にはさして特別なことではない。
 逆にひとついえることがある。写真としては面白味がないともいえるこれら多分野の写真は、新聞カメラマンとしてのすぐれた能力の産物だということだ。社の要求や紙面効果に合った写真を理解し、取材現場での動きかたに慣れていて、応用範囲が広く効率のいい撮影技能を持っていなければ、多岐にわたる撮影をこなせはしない。しかもワンチャンスで失敗の許されないニュース現場やスポーツ取材での撮影をまかされているということは、アクティブな人材と認められていた証拠だ。加えて中東在住経験や語学力があったのならば、新聞カメラマンとしてはかなり優秀な人として、その社歴に輝かしい里標を増やすべく戦地報道に派遣されたのだ、ということでもある。
 となれば、毎日新聞の「検証」紙面に並んだほとんどすべての言葉が、「爆弾を持ち帰ろうとしたカメラマン」のことをすこしも語っていないのではないかと私には思えてくる。
 記者のヨルダン滞在経験をあげていわく「熟知した土地であれば、『この土地のことはすべて分かっている』といった油断があったのではないか」、いわく「軍事や兵器に関する」「知識不足と思い込み」、いわく「戦場という異常空間で、長期にわたる取材活動を継続」したことで「精神的、肉体的疲労が蓄積、正常な判断能力を一時的に失っていたのではないか」、いわく「自分なりに完全燃焼した、と思える戦場取材が終わった時には、他人に見せるものとしてではなく、自分自身の記念品として、何かを持ち帰りたい、という気持ちになる」……行った場所の土地勘はあるが、見るものの知識はなく思い込みで行動し、正常な判断能力を一時的に失うような状態でなおかつ完全燃焼したと感じ、いわば「戦利品」を持ち帰る−−検証の言葉が重ねられるほど、優秀なスタッフであったはずの写真記者の姿は“怪物”じみてくる。
 同じように推測するなら、私は逆に考える。
 兵器や爆発物を手にとる、ということについては、もしそれが薬莢だったなら、私も手渡されれば触ってみるかもしれない。戦争映画や戦争関連の展示などで間接的に知っているに過ぎないが、弾丸の“殻”だというイメージを持っているからだ。その文脈で考えると、事件の爆発物がクラスター爆弾の子爆弾だったとして、それを手にとるには、それが薬莢と同じ意味で“殻”だと想像できる程度には「軍事や兵器に関する知識」が必要だろう。もし本当に「知識不足」だったなら、どこかで別の誰かが先に同じこと(その物体は投げて遊んだり持ち帰ったりできるほど安全だと思いこめるような)をしているのを見かけていたとしか思えない。
 しかしかりにそうだとして、もし私がその記者の立場だった場合、私は兵器の“殻”を「おみやげ」として持ち帰ろうとしただろうか。
 記者の持ち帰ろうとした兵器が、戦地での完全燃焼の証である戦利品だとは私は思いたくないし、もし毎日新聞の「検証」に引用されているように、戦地取材を行う記者の常としてそんな発想と行動が生じるというなら、それは私の理解を超えている。私は戦地取材を行う記者に対し特別な「社員教育」を施すことが必ずしも正しいとは思えないのだが、もしそんな発想と行動が存在するのなら、そのことに対しては根本的な「社員教育」が必要だと思う。
 それはともかく、私の希望的推測は、彼が「おみやげ」として持ち帰りたいと思った兵器は、彼が携行していた別の「おみやげ」、すなわちフセインの肖像写真と同じ意味のものだったのではないか、ということである。
 おみやげとして簡単に手に入るフセインの肖像写真、それは報道カメラマンの不完全燃焼の証である。
 映像に現れるフセインは、ほとんど常に「替え玉」ではないかと疑われていた。街中へ出歩いて市民を鼓舞するというパフォーマンスの最中でさえ、影武者だという風評が飛び交っていた。それは、独裁者その人が降臨するというイベントを通じて大衆を陶酔させたヒトラーのプロパガンダとは大きく異なっている。ヒトラーの場合、あくまで実在に対する演出という構図があったからこそ、意外に貧相な小男だったというような「実像」に意味があったのだ。ではフセインの「実像」が撮れたとして、どうなるだろう。その写真はおみやげの肖像写真以上の機能を果たすことは決してないはずだ。擬制が本質を超えて機能している、いや、もっと簡単にいえば、フセインの実体はすでに替え玉の替え玉として存在しており、機能しているのはむしろ替え玉(肖像写真を含めたコピー)のほうであったりするからだ。
 写真を見る私たちにとって写真は、私たちが見ようとすることの正確な像ではないということは常識だ。報道写真のウソというような表現でいい代えれば、知らない人はないといってよい。しかし、戦争が起きている未訪の場所について考えるとき、私たちはなぜか無反省に写真に由来する記憶を情報の素材なり背景なりにしてしまっていないだろうか。私は戦争中の戦場に行ったことはないが、ほかの現場から類推して語ることが許されるなら、いい古された表現だが、写真なりビデオの映像になったことはその場の“絵”でしかない。いわゆる「絵にならない」とされることの中につねに何かがある。これもまた常識だろうが、カメラを操作する立場で考えるなら、現場の実感とは、ほぼ例外なくファインダーフレームの外側に存在しているのである。ひとつのシーンで報道カメラマンがいま何カットのシャッターを切るのか知らないが、ひとつの出来事に直面した撮影者の視野をファインダーの四角い視界ですべて切り取りフィルムなりメモリなりに収めえたとして、それでどうなるというのか?
 この、写真を撮るという経験の過剰さによってかえって抜け落ちていく、見るという経験の不可能性の証として、以後も手にとって見直すことのできる「おみやげ」を持ち帰りたくなる心理。それが、過剰に写真撮影を行う者につねに現れるのだというなら私にも理解できなくはない。国内では相撲の決まり手から時節を知らせる花の写真までを撮りまくり、不発弾によって子どもが亡くなっているという悲惨な事実を写真で伝えようとさえした記者が、ファインダー越しに世界を見てシャッターを切った回数の恐るべき過剰さを想像してみるがいい。フセインの肖像と爆弾は、まさにこの記者の膨大な仕事の中で決して「見る」ことができなかった「見るべきこと」の証として、同じように並んで彼のバッグの中に揺られていたはずである。
 はじめに私は、この記者が無知で軽率だとそしるだけで話を終わりにするつもりはないといった。しかし、私は記者のカタを持つつもりもまったくない。フセインの実体よりも機能している「ご真影」と、そこに落ちている限り爆発する可能性の消えない“殻”−−この二つのあまりに象徴的な「おみやげ」に行き当たることができたのなら、なんとか写真で近づいてほしかった。企業人としての活動範囲の限界をいうのは易いが、じつは新聞カメラマンの仕事でもっとも平凡でもっとも花形に縁遠い、記念撮影だとか複写だとかいう地味な方法の中に案外アプローチの道があったのではないかと、私などは素人なりに思うのである。
 このように話を進めてきたところで、私はそもそも戦争をめぐる写真の過剰さにいらだちを感じていることに気づく。私がしてきた話など、これまでの戦争と写真の関係でとっくに「検証」され、存分に学ばれた話ではないのか。
 戦場の写真など、もう1枚も見る必要はない。戦場の写真など、わざわざ撮る必要もない。ならば戦場の実態をどうやって知るのかといわれれば、いまの私はこう答えておく。
 戦場とは、人が人を殺す場所である。そこに「おみやげ」などはない。
(1)おもなものは以下のとおり。
・羽田空港に出迎える家族の前に姿を現した北朝鮮拉致被害者たち
  http://www.mainichi.co.jp/eye/feature/article/koizumi/rachi/photo/16-1.html
・ワールドカップ2002年3位決定戦
  http://www.mainichi.co.jp/news/journal/graphic/worldcup/04.html
・朝青龍が連続優勝 横綱昇進に大きく前進
  http://www.sumonews.com/pages/2003/01/26/20030126u.htm
・Xマスのイルミネーション点灯−−東京・新宿(お天気ニュース)
  http://www10.mainichi.co.jp/news/200211/02-05.html
・不忍池にも薄氷 東京・上野公園(お天気ニュース)
  http://weather.mainichi.co.jp/news/200301/09-02.html
・鹿児島・指宿に春の彩り (お天気ニュース)
  http://www10.mainichi.co.jp/news/200201/29-06.html
・劣化ウラン弾犠牲の疑い、幼い命よ安らかに−−イラク・バスラ(記事と文)
  http://www.mainichi.co.jp/news/article/200302/24e/037.html
・傷跡、生々しく−−バグダッド、アメリア・シェルター(記事と文)
  http://www.mainichi.co.jp/news/journal/eye/200303/08.html
・イラク南部の町バスラで見かけた車椅子の物ごい。経済制裁によって、市民の生活が困窮している
  http://www.gslb.mainichi.co.jp/eye/kishanome/200303/12.html
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