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だめ押し、ではないが、いま一度だけ映画祭の話をさせていただきたい。来月初旬(12月1日〜8日)東京・有楽町で開催されるもので、私はこの映画祭を堪能して2002年を終えたいと考えており、また皆さんにもぜひそうしていただければと思うのである。
この映画祭は「TOKYO FILMEX 2002」(東京フィルメックス)という。「新・作家主義国際映画祭」と称して毎年開催されているが、今回が三度目という若い映画祭である。
東京での国際映画祭といえば、その名も「東京国際映画祭」が渋谷でつい先ごろ終了したばかりだ。それとは違うの、という素朴な質問があるだろうが、違うのである。で、なんでそっちを書かずにこっちを書くんだ、という意見があるだろうし、さっそくホームページ(1)などをお調べになり「『TOKYO
FILMEX』はお前の勤務先が共催になっているじゃないかこの野郎!」とお思いになったかたもおられるかと思う。
共催については、これはたまたまであって、私は勤め先の宣伝をしなければならない立場ではないし、もちろん直接この映画祭の運営に携わってもいない。それよりもこの映画祭のスポンサーをご覧になったならば、ぜひ東京国際映画祭のスポンサー一覧にも目を通してみていただきたい。外務省、文化庁、東京都に始まって、大手映画会社五社もそちらに名を連ねているのが見てとれる。規模といい認知度といい東京国際映画祭こそが「東京」における「国際映画祭」なのであって、すでに開催15回を数え、世界12大映画祭(そのいくつかしか私は知らないが)のひとつにも数えられるという映画祭を、ここであらためて紹介する必要を私は感じない。
ではなぜ「TOKYO FILMEX」なのか。
私は昨秋の第二回目の開催で、初めてこの映画祭の存在を知った。このときのラインナップにアボルファズル・ジャリリの『少年と砂漠のカフェ(デルバラン)』であるとか、モフセン・マフバルマフの『カンダハール』というような、まことに時宜を得た作品があり、一般公開時にそれらが得たジャーナリスティックな反響の大きさと公開までのタイムラグとを考えると、調査・企画力にすぐれた映画祭では「いま・ここ」での映画が見られるのだ、ということの貴重さが痛感されたのである。そして、それよりも私の関心をひいたのは「TOKYO
FILMEX」の上映作を見ていくうちに、この映画祭に一種の「タッチ」が感じられたことだった。
この映画祭を体験するまでは、配給会社などの企画でひとりの映画監督の作を何本か上映する“映画祭”から、カンヌのような見本市としての性格も濃い“映画祭”まで、私は規模以外はさほど区別をつけずに受け止めていたし、一般上映館への配給を前提とする劇映画は、芸術とか表現よりもやはり興行という言葉に近いのではないかとも思っていた。まして目の前で“映画祭”が開かれていたとて、見ることのできる本数には限りがあり、フィーチャーされた作品全体をくくるフレームとしての映画祭を意識するのはむずかしかったという本音もある。たとえばアンドレイ・タルコフスキーとスティーブン・スピルバーグの映画が同じ“映画祭”にフィーチャーされていても、それまでの私はさほど奇異には思わなかった、ということだ。『惑星ソラリス』と『E.T.』が同時上映でもか、という冗談はさておくにしてもである。
では「TOKYO FILMEX」で感じた「手ざわり」としか表現できないような「タッチ」とは何だろうか。個々の上映作が同じ題材だとか、共通のスタイルだとかいうことはまったくないので、その「手ざわり」は映画祭という“フレーム”の存在が感じさせるものにほかならない。簡単にいってしまえば映画祭全体に企画制作者の意図が現れていて、なおかつそれが納得できるものだった、ということなのだが、重要なことは、それが現代美術や写真の企画展などで表明されることの多い「コンセプト」や「テーマ」とは、かなり質の違ったものに思われたことである。
「TOKYO FILMEX」は「独創的で創造力みなぎる作家たちの作品を、アジアを中心とした世界から、そして日本から広く集めて新しい映画への挑戦を支援していきます」と称している。上映作すべてがアジアの作品ではないが、当初は「アジア新作家主義」をテーマにスタートしており、今回もそれがメインテーマといっていいだろう。
しかし、いまだに「面白さ」といえば条件反射のように出てくる「アジア」を持ってくればどんなイベントもうまくいくわけではないことは、私が指摘するまでもない。東京国際映画祭にも今回からアジア部門が作られたようだが、「新設の『アジアの風』部門は盛況だったが、多彩な企画も会場が分散したため映画祭としての一体感には乏しく、物足りない内容に終わった」という報告もある(2)。となればなおのこと、その映画祭がいかなる「タッチ」を持つ、どんな“フレーム”であるか、ということは、いやしくも映画祭を名乗って映画を集め上映する以上はかなりの要諦だろうということは想像がつく。
そこで、これから開催される映画祭についてそれを推測するよりは、聞いてしまったほうが早いだろうと考えた。そうすれば「コンセプト」ではない「タッチ」のありかたとでもいったものが、少しでも参考になる形でピックアップできるのではないか……というわけで、「TOKYO
FILMEX」のディレクターである林加奈子さんにお願いし、お話をうかがうことができた。
林さんは、川喜多記念映画文化財団で海外への日本映画の紹介などを担当したのち独立、ヴェネツィア映画祭、ベルリン映画祭のフォーラム部門コンサルタントをつとめ、「TOKYO
FILMEX」にアドバイザーとして参加。前回の第二回から正式にこの映画祭のディレクターになっている。
映画祭の発案は、北野武監督作品のプロデューサーとして知られる森昌行氏による。コメディアン「ビートたけし」が映画作家「北野武」として認められ映画制作を継続できたのは、海外のさまざまな映画祭での評価によるところが大きかった。ならば、ただ話題の映画を海外から集めて上映するだけではなく、映画作家を育てる映画祭、それが日本にあってもいいのではないか、というのが動機だったという。ただし、いまや映画作家としてもエスタブリッシュメントであるたけしを擁する「オフィス北野」の社長である森氏自身が企画運営しているとなると、ひろく映画作家を育てることを目的とした国際映画祭としての中立性は疑われざるを得なくなる。また、たけしの例にならったわけでもなかろうが、日本の若手監督の場合、海外とくにヨーロッパの映画祭に出品した、コンペティションを通った、ということを「ハクづけ」にするための戦略的な制作が行われる弊もすでに指摘されつつあり、ヨーロッパの映画祭をある程度お手本にして日本で映画祭を興すのであれば、よくよくその事情に通じておかねばならない、という課題もあっただろう。さいわい、いずれの点でも林さんは適材だったといえる(3)。
しかし、林さんのお話をうかがっていると、映画祭の「手ざわり」をかもし出すためには、決して特殊な策があるわけではないことも分かる。たとえば、まずどんな基準や価値観をもって映画作品を選んでいくのか、ということを訊ねると、こういう答えをしてくれた。
「大きな制作費をかけてハリウッドで撮影される、たいへんよくできた映画というのももちろんあります。しかし見終わったらすぐ忘れてしまうような映画を映画祭で紹介しようとは思いません。映画という形を使って、少しでもいままでと違うものを見せている作品、つまりオリジナリティとクリエイティビティのあるものを選んでいきたいんです」
これは、写真や美術に携わるかたならば、似たことを耳にしたか自分でも口にしたことがあるのではなかろうか。むろんそれが凡庸だといっているのではなく、それだけ親しみのある考え方であり、誰もが共有する意識のひとつだろう、ということをいいたいのである。ならば、この考えかたをどのように現実の映画選び、映画祭の構成に結び付けていくのか。
林さんの場合、どんな映画作家が何をしようとしているのか、という「面白そうな情報」は経験上、映画完成以前に耳に入ってくるという。しかし、実際に見なければ映画のできはわからない。そのためには遠路をいとわず各国の映画祭に足を運び、ビデオ資料などを取り寄せてひたすら見続ける。そこで注意しているのは、あくまで個別に作品や作家と向き合う、ということだ。つまり、この映画祭のように「アジア」をテーマにするならば、アジアでくくろうと考えるよりも、ひとくちに「アジア」といえるものなどない、ということを意識して候補の映画を見ていかなければならない。
たんに映画を見てくるだけなら、語学力さえあれば私にもできそうな気がする。しかし目につけた映画のフィルムを入手し映写機にかけなければ映画祭は始まらないのだ。今回の「TOKYO
FLIMEX 2002」の場合、特集上映部門に用意された60年代旧ソ連の映画2本を含めた23上映作がすべて日本初公開で、6本は世界初公開である。しかも、今春カンヌ映画祭に出品されたばかりのアレクサンドル・ソクーロフの『エルミタージュ幻想』や、今秋のベネチア映画祭第二コンペ部門の受賞で話題になった塚本晋也の『六月の蛇』、また、『友へ
チング』が日本でも人気を博した郭景澤(4)の『チャンピオン』など多数の注目作・話題作もこの場で初公開になるのだ。一方、コンペティション部門に並ぶ9本は、すべてアジアの新進作家のデビュー作かそれに準ずる、まさしく「いま」の作品だ。それらの水準の高さは、昨年のコンペ部門上映作10本のうち6本を見た私は、確信を持って期待できる。
他の有名な映画祭に引っぱりだことなったり、宣伝効果上本公開まで上映を控えたがるような人気の新作を、歴史が浅く規模も大きくない映画祭に優先的に招くには、もちろん映画界での経験がものをいうだろう。が、その一方で一定水準以上の未知の作品をリストアップするには、相当に練れた批評眼や鑑賞力が必要なはずだ。ここで興味深いのは、林さん自身はたんに「見る」ことに徹している、と強調する点だ。映画に向き合う場合、彼女自身は批評家的なスタンスはとらないという。よりよい映画を「見て(見い出して)伝えよう」というのだ。
むろん「よりよい」を見きわめる行為を批評というのではないか、ということはあるのだが、林さんが避けているのは、映画祭という“フレーム”が、個々の映画をその中に閉じ込めるような結果になってしまうことだともいえる。
「いま・この時点でのすぐれた映画を一度に見渡せて、選ぶのはあなた、ということなんです。映画のための映画祭なのであって、映画を利用して自分たちの映画祭を作るようなことをしてはいけないんです。わかる人だけにわかる作品だからそれがいい映画だということもないと思います。誰もが見られて理解できる作品で、なおかつ新しい表現たりえている、またシンプルな中に多くのことを語っている映画はたくさんあるんです。私たちがしなければならないのは、そうした映画1本1本が輝いて見えるための努力なんです」
この映画祭では、ほとんどの作品について映写後に、来日した監督・制作者と鑑賞者が質疑応答する時間が用意されている。もちろん映像作品の作者と鑑賞者が直接言葉をかわすことが手放しでよいとはいえないと思うが、昨年の場合は私にとっては、映画の制作や映画をめぐる社会情勢の認識、世代年齢による映画作りの違いなどはもちろん、たとえばコンペティション部門の制作者たちと質疑応答する席に居合わせると、たんにアジアの同世代以下の人びとたちのものの見かたを経験する意味でさえ、じつに興味深かった。
個別から全体へ。いまさらのようではあるが、個別を重んじ結果としての全体を浮き彫りにするような、このような作り方がおそらく、上映作を次から次へと見たくなるクオリティに裏付けられた「タッチ」を感じさせる結果となっているのだ。
もちろん映画祭である以上、一定数以上の観客を動員するイベントとして成功させなければならないという課題も大きいし、予算をどうするかという問題も見過ごせない。「作家主義」を標榜する「TOKYO
FILMEX」も、実は表現と集客との、かなりギリギリのところに配慮したうえでプログラムされているのかもしれないのである。それがなければ逆に「わかる人だけにわかる作品」を集めた徹底して実験的な映画祭も、それでそのまま芸術的価値が高いかどうかは別として、不可能ではないからだ。
私は、ここまでに見聞してきたいくつかの映画祭について、なんとなくだが写真や美術の企画展や、写真祭・美術祭のことを思い浮かべながら書いてきた。映画(劇映画)と写真や美術ではそもそも観賞形態が違う、というのは当然だし、芸術と興業をゴッチャにするなということもいわれたことがある。私も、どちらがよくてどちらが悪いということで書いているわけではもちろんない。しかし、一定以上の規模で開かれる写真展なり美術展なりがいま、親のツケでも払わされるかのように「集客」を求められている、ということは事実だろうし、美術館と名のつくものがいとも簡単に消えてしまったり、逆に個々の作品なり作家なりに向かい合うことが驚くほど簡単に放棄された展覧会が開かれるようになってきていることは、具体例を出さずとも多くのかたがお気づきであろう。私とて、よそのことなど批判できない状況にある。どうしてこうなってしまったのか、ということを私はわかりたくない気さえするし、そもそも「親のツケ」とはいったい何だったのか、と思うこともある。しかし、不満を並べてばかりいるのはよしにしよう。とりあえずは見る力が形になることの一例として、見ることにたけた人たちが集めてきてくれた、いま・ここにある映画を体験してみたい。ひとりの鑑賞者としてその空間に加わってみたいのである。
(1)http://www.filmex.net/index-j2002.htm
(2)『朝日新聞』2002年11月6日夕刊/せっかくアジア部門が盛況だったにもかかわらず、映画祭全体に貢献しなかったらしいこと、一体感が乏しくて物足りなかったという報告の背景はわからない。
(3)上映作品の選考はすべて林さんを含めた2人のディレクターで最終決定まで行っており、コンペティション選考はアジアを中心に招かれた各国の映画人が担当する。北野オフィスはそれらの作業には加わっていない。
(4)クァク・キョンテク=「景」は「日」へんに「景」。
*上映予定作のうち、開催前に私が見ることができた映画をいくつか紹介しておこう。
『蒼の稲妻』
監督:賈樟柯 2002年/日本・韓国・フランス/112分

特別招待部門上映作。いま中国の映画監督といわれたら賈樟柯(ジャ・ジャンクー)、香港だったら陳果(フルーツ・チャン)、台湾だったら蔡明亮(ツァイ・ミンリャン)だと私は思っているのだが。賈樟柯は70年山西省生まれ。美術学校で絵画を学び、小説も書く。91年に陳凱歌の『黄色い大地』を見て映画に転向、北京電影学院に。27歳でのデビュー作『一瞬の夢』(1997年)を見たときの衝撃はいまだに記憶に残る。次々に撮りたい映画があるという彼は、やり場のない青春を描く長編3作目のこの作品をデジタルハンディカムで撮影し映画フィルムに起こした。03年新春・ユーロスペースほかで公開予定。
『夕立ち』
監督:マルレン・フツィエフ 1966年/ソ連/109分
「知られざるロシア映画」部門の上映作。発表当時ヴェネツィア映画祭に選ばれたが、政府の圧力で出品をとりさげられたという経緯がある。監督のフツィエフは25年グルジア生まれ。現在はロシア映画監督協会会長で国立映画大学で教鞭をとるなど要職にいるが、60年代はさきの事情もあって厳しい時代を過ごしたようだ。この作品は60年代の行き場を失った青春群像をスタイリッシュといってもいいカメラワークで綴るが(映画祭の案内ではヌーベルバーグ的、と紹介されている)、当時のロケで映し出されるモスクワの様子や、映画の終わりのほうで現れる退役軍人会の様子などのドキュメントタッチの映像にも目を奪われる。
『チキン・ポエッツ』
監督:孟京輝 2002年/中国/94分
コンペティション部門の上映作。監督は中国の小劇場活動の草分け的な存在で、もとは舞台演出家であり、映画監督としてはこれがデビュー作になるがキャリアを持っている人。この映画では、かつて若手詩人として注目されながら詩作に枯渇し養鶏場経営を手伝うはめになった主人公が、ある日、詩才をもたらすという秘密の海賊版CD-ROMを手に入れる。色盲のためスチュワーデスになる夢を失ったヒロインに、主人公の存在は何をもたらすのだろうか。烏骨鳥の黒、白く輝く光、CD-ROMの怪しい画面など、舞台演出の妙は果たして映画に生きたかどうか。
『生きる』
監督:レザ・ソブハニ 2002年/イラン/85分
毎日公園に出かけては、レンズキャップがシャッター代わりの旧式なボックス型の組立カメラでポートレートを撮る記念写真売りの老人。日々カメラの前を、その脇を、過ぎていく公園での小さな出来事が、ほとんどセリフのないまま静かに描かれていく。老人が夢に見る、幻のポートレイト撮影とは結局なんだったのか。写真とは、撮るものではなく見るものなのだということをしみじみと味わう時間。主人公の老人を演じるのは、イランでは有名な写真家だという。
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