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三島 靖 MISHIMA Yasushi

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06:『フォーカス』という「プンクトゥム」[#2]

2001.08.15



→[#1]はこちら。

 写真を撮る者の記憶を写真から切り離し、情緒を消した素材として組み合わせ、より万人に理解されうる物語を作り出す名取洋之助の写真ジャーナリズム編集術。これはもちろん名取のオリジナルな発明ではなく、彼が自分の報道写真を売り特派員としての経験をした一九三〇年代ドイツのグラフ雑誌や、あるいは同時代ソビエトのプロパガンダ雑誌の誌面スタイルにも多くを負っている。しかし、いずれにせよこれが戦前から現在までの長きにわたって、写真を使ったさまざまな編集現場の発想をほとんど無意識に支えてきた方法のひとつであったことは間違いない。
 そして、この方法が検証されることなく無意識に継承され続けるなかで一石を投じ、かつ商業的にも成功した(5)のが、実は一九八一年創刊の『フォーカス』の誌面デザインだったことは、さきの同誌廃刊時にはさして指摘されなかったことのひとつでもある。
『フォーカス』を一度でも手にとったことがあればニュース誌面の感じはすぐ思い出せるはずだ。ほとんどがモノクロ頁で基本的に見開き一テーマの構成、ややタッチの荒い写真が一点大きく掲載される(説明的写真が小さく追加される場合もある)。記事は写真の余白に添えられている印象だ。それ以外は記事のタイトルと、写真の撮影者名だけである。
 写真そのものは名取洋之助が、
 「読者に強く訴える写真は、まず第一に『それが大きな感じを持つこと』『それは何 かと疑問を持たせること』『模様風な構図をもっていること』だ」(6)
 というとおりの写真が使われている。
 逆にいえば、その1点の写真だけでは何が何だかよく分からない、名取が写真の記号としての欠点だと回避を考えた一枚の写真のもつ多義性が未整理のままの写真が掲載されている場合が多い。ためしに一冊の『フォーカス』に掲載された写真だけを抜き出して記事抜きで並べてみるとそのことがよく分かる。その週のトップ記事に使われた写真が、まるで知らない人の記念写真のような、私にとって完全な<無意味写真>の場合さえある。
 その写真に写っている女性らしい人(はたして女性なのだろうか)の奇妙に大きなサングラス、変な形の野球帽、その人が画面の隅に写っていることにどういう意味があるのか。まったく反対側の隅に写っている背広姿の男はどこの誰なのか、その結果構図の中央がスッポ抜けてしまっていること…実は『フォーカス』誌面に掲載される<無意味写真>は、理解できない刺激に満ちた<プンクトゥム写真>なのである。
 そして、見開き誌面のどの要素よりも大きい<プンクトゥム写真>は、短くとくに扇情的でもないタイトル1本で、瞬時にその写真が撮られたときの、まさに「記憶」を再生しはじめる。写真に写っているのは人気女性芸能人とその愛人であり、その写真は早朝二人がホテルから出てきたところなのだ。要するに重要なのはその二人がこの写真を撮られる前にセックスをしていた、ということであって、「記憶」はそこまで遡る。さらに記事をざっと読むことで(文字量はほぼ一二〇〇字=四〇〇字三枚程度。これはすぐ読めると同時に<起承転結>でモノを伝えうる最小の分量といってよく、この設計もいまさらながらよくできている)、<プンクトゥム写真>は「編集者の意図を、その意図通りに読者に伝える」ことに瞬時に置き換わる。
 写真1点に記事1つという誌面スタイルのグラフ誌は戦前の日本にもあったが(たとえば一九三三年創刊の週刊誌『国際写真新聞』)、『フォーカス』がすぐれていたのは、戦前の報道グラフ誌、国策宣伝グラフ誌とはまったく逆に「小さい物語」を猛烈に大きく表現したことだろう。
 ほとんど倒錯的といっていい快楽が日常の延長上にあることは、私が指摘するまでもないことである。『フォーカス』の求めに応じて、しばしばそうした日常のほとんど<無意味な写真>を撮るためにカメラマンたちが費やした多大な労力は、彼らがその写真における「記憶の当事者」であることによって、名取洋之助の編集方法にまったく存在していなかったカメラマン個人の、一点の写真の、正当な評価をよみがえらせたのである。それは、『フォーカス』最終号に「弔辞」を寄せたビートたけしが、「『ペンは剣よりも強し』と、<書く>ことで貫いてきたジャーナリズムにフォーカスは<写真>をまず<見せる>ことで<読む>ことに更なる力を与え」たと述べたことにつきるだろう。
 今回『フォーカス』が廃刊となるにあたって私が目にした批評の多くは、ここまでに私が書いてきた誌面 の構造が飽きられた(古い)ということと、インターネットという無法な場の登場でスキャンダルを一般商業誌で扱う訴求力が減った、というようなことだった。
 私は、そのどちらもがある意味では正しいと思うし、『フォーカス』に代わる新しい写真メディアを思いつくことができない以上、同誌廃刊の原因について、それに加えて批判的な言葉を重ねる気にはなれない。
 ただ、数百万部の売れ行きが数十万部になったから廃刊になったのだとして、雑誌を買わなくなった百万を軽く超えるひとびとの視線の欲望の質が変わった、つまり『フォーカス』がその力をやたら費やしすぎてしまった(と私には思える)刹那的な性欲と同じ窃視欲と違うまなざしを持つようになったのだとは、私にはどうしても思えない。
 この夏、とてもたくさんの現首相の映像が現れては消えた。そこには実に多くの「大きなお題目」があった。しかし「小さな物語」としての彼という存在そのものは、あらゆる視線がおそらく一瞬たりともとらええなかっただろう。『フォーカス』の「小さな物語」に飽きたらなくなったらしいかなり多くの人々が、自ら「実物」を見に行きさえしているというのにである。
 写真週刊誌のスキャンダリズムについてはほとんど書かなかったが、私自身は『フォーカス』という雑誌の内容が好きではなかったし、さいわい自分でも、有名人が何かいかがわしいことをしでかす場面を揶揄的な態度で待ち受けるという仕事はほとんどせずにきた。しかし、私たちの目の届かないものを写真で瞬時に突き刺し私たちに瞬時に理解させるという、『フォーカス』という手法がこのまま「飽きられて」、さらに検証されることなく消える
(ないしはそのテクニックだけが継承される)のだとすれば、私たちは、いままでより注意深く、いままでよりはるかに広く遠く、それぞれの周囲を見回していなければならないまさにこの時代に、とんでもない<見落とし>をやらかす危険があるのではないかという予感も、しないではない。

「私たちの眼にふれる写真は、カメラマンと、カメラマンが写した写真を使う編集者と、編集者がいつも念頭においている読者と、この三者が要求する嘘の総合された結果といっても、決していいすぎとはいえないものがあります」(7)

 


(5)名取洋之助が編集したメディアは、商業的にはおおむねふるわなかったとされる。編集方針の問題なのか
(ならば組写真と写真説明というスタイル自体がまずかったはずだ)、経費と採算の問題だったのか、機会をあらためて調べておきたい。
(6)朝日新聞/1962年11月24日(木村伊兵衛による名取洋之助の回想)
(7)『写真の読みかた』名取洋之助/岩波新書/1963年


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