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さて、ここまでの私の態度にも現れているかと思うが、私は写真に対して「人見知り」しがちである。報道、広告、芸術、どのような写真であれ、私は初対面のひとについしてしまう引っ込み思案の疑わしげな態度でしか向き合うことができない。ひととつき合う場合は、会話を重ねて理解を深めようとするわけだが、写真は私の語りかけを聞き入れ返事をしてくれることはない。言葉をもたない写真から発されるシグナルを私が読みとることだけが、写真と私とのコミュニケーションなのだ。
もちろん撮影者と直接対話して写真の背景を聞くこともできる。が、撮影者を理解すればその写真が理解できるということにはもちろんならないだろう。写真そのものは、私たちに何かを明確に伝えるものではありえない。写真は私にとって写真であればいい、つまりロラン・バルトの「プンクトゥム」(1)さえあればいいということだ。とはいえ、私がある写真に「プンクトゥム」を見い出したとして、それが何になるというのだろう。それは一種の閉じた遡行ともいうべき感情の動きにすぎない。
写真はコミュニケーションの道具であると思われているが、そのためには、実は写真技術とは別の技術の添付が必要なのだ。逆にいえば、私たちにとって親しくわかりやすい(ように見える)写真の場合、例外なくすべてにそれが行われている、ということでもある。
この作業で添付されたメッセージがあまりにも明確な写真は、初対面の相手にやたらに喋りまくる手合いのごとく私には苦手である。まともに相手をするヒマがあったらちまちまと「プンクトゥム」でも探していたいという私の気分もすこしはご理解いただけようか。もっともマメでしつこい奴ほど口説き上手と巷間いわれるし、凡庸な切り口上だけで総理大臣になれてしまうのだから、私にとって騒々しいだけのクズ写真が一般に人気を集めるのは当然だという気もするが。
ともあれ、私が写真という存在に関心を持ち、写真を撮影・編集・印刷してメディアにするような行為に関わるようになったのはそれほど古いことではない。最初のきっかけも、私から求めたものではない。
15年以上前、私はあるグラフ雑誌の新人記者・編集者となった。もちろん写真を学んだ経験はない。当時その雑誌は、事件や事故などのニュース写真を短い記事入りで報じる典型的なグラフ週刊誌の部分と、後に中高年向けの隔週誌で扱われた旅や趣味などの特集でおおむねできていた。要するに『フォーカス』『フライデー』のような写真週刊誌の誌面よりは微温的だが、かといって趣味誌ともいいきれない真に対する「違和感」を深めていったということである。
前おきが大げさになったが、要するに私は、自分の経験・記憶とそれが写っているはずの写真との「ずれ」をいまさらのように経験し、それが解決されないまま商業メディアで伝播していく不安を濯げないまま、今日に至ってしまったということだ。
ニュース写真誌の仕事では、記事を書く私とカメラマンが現場を訪れる。その場を見た私と、その場の映像を記録したカメラマンは別人だが、私が見たもののほとんどはプロの手で必要充分に撮られており、撮っておいてほしいものを頼めさえした。しかしざっと選ばれた写真を見ると、私が見たものに間違いはないが、あまりに記憶と違うために驚くことがよくあった。誌面構成は現場にはいない上司がする。掲載する何点かの写真が先に決まり、締め切りまでに私が原稿を書く段取りだが、なまじ写真を見ながら書こうとすると、それらが喚起する「ずれ」の意識のせいで、締め切りを迫られる職場で私はしばしば立ち往生した。
そのような私の姿は、いまの私にはもちろん幼く思える。たとえばドキュメンタリー映画を作る場合、現場での撮影にまったく関与しなかった制作者が編集・構成をすることで、むしろすぐれた作品が完成する可能性があることはここでも紹介してきたし、いまの私自身、中平卓馬にならうまでもなく、写真の疑わしさから出発するという原則にたつべきは当然と思っている。かりに私がカメラマンだったとしても、シャッターを切った瞬間の記憶が正確にフィルム上にあるわけがない。写
真は、撮影者の記憶という情緒の記録ではありえないのだ。
写真をひとに見せるとき「情緒」を同時に語りたいのは人情である。だが編集の基本として写真を見れば誰にでもわかることをわざわざ写真説明に書かないように、「写真には写っていないが実はこの場面は」という解説をつけた写真を載せるのもルール違反だ。つまり、写真の強さと文章の強さが独立した力を持ち相互に作用しあえば強い印象を与える誌面となること、その「強さ」を迷わず示すこと、それが、日本でいえば写真編集の先駆者にして第一人者であった名取洋之助がすでに戦前から感覚的に確立していた、ニュース写真メディア編集の古典的原則なのだ。それを理解していなかった新人記者の私が扱いに困った「自分が見た記憶」は、メディアで写真を使って何かを効果的に伝えようとするなら、写真から、そして写真に付される文章からも、いったん切り離す必要があったということだ。
その証拠に、80年代に群をなして登場し売れた写真週刊誌では、しばしば「アンカー」方式がとられていた。現場の取材者が集めた素材をもとに、アンカーと呼ばれる専門の書き手(現場には出ない)が原稿を書くシステムだ。これは、現場の取材者は情報収集に全力を注ぎ、満を持して待つアンカーが文章の仕上げを請け負うことで効率を上げようというねらいだろう。現場のカメラマンは現場で撮ることに力を注ぎ、写真原稿の制作(現像や仕上げ)は暗室スタッフが行うという分業方式(2)と同じである。
こうした分業による写真のメディア化は『ライフ』をはじめとする戦前からのグラフジャーナリズム誌ですでに効率よく行われていたし、さきの名取洋之助もその効果を述べている。
「カメラマンから、情容赦もなく写真を捨てる、チョン切るとうらまれましたが、極論すれば、この情無用の態度があって、はじめて共同で仕事をする意義があるのです」(3)
興味深いのは、名取が「写真がいろいろに読めることは、写真の大きな利点ですが、同時に、大きな欠点でもあります」(3)として、1枚の写真を「いろいろに読むことができる」ことを「記号としてのあいまいさ」と考え、それを「ふせ」ぐことで使いこなさなければならない、と考えた点だ。
「一枚の写真はいろいろに読むことができる。(略)この記号としてのあいまいさを、どうすればふせげるか。カメラマンの意図、編集者の意図を、その意図通りに読者に伝えるには、なにかよい方法があるだろうか。その方法の一つが、写真の説明文です」(3)
「説明文をつけることとともに、写真の記号としての欠点、『いろいろに読める読みにくさ』を克服する方法として、写真を一枚でなく、並べてみせる手段があります」(3)
「写真は『生物』(なまもの)です」(3)と名取はいう。ナマものだからすぐ古びる。そのまま供しても食べにくい。その代わり、新鮮さを失わずにうまく供する方法があれば、多くの言葉をついやさずとも非常に大きなイメージの伝達力を発揮する。そのための「調理法」として名取が主張するのが、このように写真何点かを「組み写真」とし、巧妙な説明文を加えたフォトストーリー仕立てにすることだ。
この方法によれば優秀な制作者は、バルトにふうにいえば、1枚の写真に含まれるさまざまな「プンクトゥム」を刈り揃え、「ストゥディウム」(4)の援護射撃に使うこともできるということだ。
この話題になると、私はいつも「刺身の盛り合わせ」を思い出す。
日本人はマグロ好きだというが、マグロの腹に直接食いつこうとする人はいまい。また、いくらマグロの刺身が好きだからとてドンブリにサクを盛られて喜ぶ人も多くないだろう。口当たりのよさ(適度なサイズと単調にならない組み合わせ)と見た目の美しさ(レイアウトのバランス)への期待値がほぼ予測できるからこそ、内容をほとんど確かめもせず「刺身の盛り合わせ」が注文できるのだ。
名取の方法論に即していうと、ナマモノを「刺身の盛り合わせ」に仕立てる技術は、現在のビジュアル雑誌の構成にも無意識に使われている、基本的で原則的な技術である。基本的で原則的だからこそ、この技術は本来、わかりやすい啓蒙(報道・教育)メディアの制作を想定していたはずだ。しかし名取の発想は「わかりやすい国策宣伝メディア」のためにその多くが使われたことは歴史のとおりだ。皮肉なことに時局が危なくなるほど、そうしたメディアのほうが資材(フィルムや印刷用紙)や技術(すぐれた印刷術や数少ない優秀なカメラマンの優先的登用)に恵まれたため、結果
として同時代では有数の完成度に達することができたのだ。
私は名取やその周辺の人びとを、戦争協力者として断罪するつもりで書いているのではまったくない。ここで私が指摘したいのは「写真から記憶を切り離すこと」についてである。
写真は記憶を写さないし、記憶の正確なメモ書きでもない。かりに撮影者なり観覧者の記憶を鋭く呼び戻すことがあるとすれば、それは「プンクトゥム」(それもしばしば些末な細部)の作用によることは間違いない。であれば撮影者がその写真をめぐる記憶を情緒的に語れば語るほど、その写真の一般的需要度(いわばストゥディウム)は、かえって低まるはずである。
ならば、写真からよけいな情緒を切り離し「情け無用の態度」で料理するという、名取の方法論はどのような結果になったか。
もちろん国策宣伝の有効な方法として写真の偽造に近い操作の温床となった(記憶から切り離された写真をいかように使おうと自由だとの論理)という原則的な問題がある。それもさることながら、この方法から派生していった編集術が、写真を通した世の中の見えかたをつぎつぎにクリシェ化していったという問題のほうが大きいと、私には思われる。
記憶を切り離した写真を、編集感覚の上で「強い写真」「弱い写真」「イメージ写真」
「説明写真」などに分けて、有効に組み合わせる。それが<カメラマンや編集者の意図をその通りに読者に伝え、写真の弱点を克服する>方法とされる。根拠のない感覚的な作業であるだけに、無能な編集者にかぎってゴタクが多く長引く作業−−基本的に戦前、ことに戦中と同じ方法をなんら批判精神を持たずに受けつぎそれに邁進していること−−新人記者だった私の立ち往生は、案外その構造に原因があったのかもしれない。
[#2]
(1)「プンクトゥムとは、刺し傷、小さな穴、小さな斑点、小さな裂け目のことでもあり−−しかもまた、骰子の一振りのことでもあるからだ。ある写真のプンクトゥムとは、その写真のうちにあって、私を突き刺す(ばかりか、私にあざをつけ、私の胸をしめつける)偶然なのである」『明るい部屋』みすず書房/1985年
(2)日本では多くのファインアート作家がメディアの仕事もする場合が多いからこのように説明するまでもないだろうが、メディアの仕事の経験のない写真家にこのシステムを説明すると、ひどく驚かれることがある。
(3) 『写真の読みかた』名取洋之助/岩波新書/1963年
(4)「その感動は、道徳的、政治的な教養(文化)という合理的な仲介物を仲立ちとしている。そうした写真に対して私が感ずる感情は、平均的な感情に属し、ほとんどしつけから生ずると言ってよい」(1)
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