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写真集『SELF AND OTHERS』のタイトルを、牛腸はイギリスの精神医学者R・D・レインの同題の著書からとっているようだ(『自己と他者』"SELF
AND OTHERS" 1961,1969/みすず書房・一九七五年)。この写真集の最後にはレインの『経験の政治学』("THE
POLITICS OF EXPERIENCE" 1967/みすず書房・一九七三年)から引用された一文もある。
「ある人間にとって世界を生き生きとしたものにするために、あるいは、人がそこに身を寄せている現実を一瞥で、一つの身振りで、一つの言葉で味気ないものにしてしまうために、もう一人の人間ほど効果的な作因は存在しないように思われる」(13)
牛腸は、精神医学・精神分析学の本や新聞・雑誌の切り抜きをたくさん集めていて、かなり熱心に読んでいたようだ。その中にはもちろんレインの著書も含まれている。
スコットランド生まれのR・D・レインは、一九五一年に大学を卒業し、英陸軍の軍医を二年つとめるが、ここでの経験によって当時の精神医療に疑問を持つようになる。当時の英陸軍精神科では、患者と治療者との対話も患者どうしの対話も禁じられていた。「心の動きを止めさせること、それが解決策にほかならない」(15)のだった。しかしレインはその命令に服さず患者とのコミュニケーションを図っていく。以後勤務したさまざまな治療施設でも、レインの主な関心は精神分裂病患者との「関係」の回復、さらには分裂病患者がなぜ通
常の「関係」を失っているのか、ということに集中していく。そしてレインは、つぎのような主張をするのである。
「『分裂病』という『状態』など存在しはしないのです。分裂病というレッテルが貼られることは一つの社会的事実であり、この社会的事実とは一つの政治的出来事なのです。(略)患者というレッテルを、とくに『分裂病者』というそれを貼られ『拘禁』されてしまった人間は、人間的な行為者としての、そしてまた責任ある人間としての実存的ならびに法律的地位から追いおとされるのです」(16)
「私たちの正気は『本当の』正気ではありません。病める人の狂気は『本当』の狂気ではありません」(16) そしてレインは、治療者と分裂病患者の区別のない、投薬も閉鎖病棟もない、自由な起居空間をロンドンに実験的に開設する。「治療のユートピア」(17)と呼ばれたその場所で、精神医学の歴史を根本的に批判するラジカルな考えを実践的に示したレインは、いっぽうその著作において、自己と他者との関係において発生するさまざまな現象とその力学を、きわめて微視的かつ臨床的に例証しようと試みていく(18)。
レインはいう。 「すべての人間存在は、子供であれ大人であれ、意味、すなわち、他人の世界のなかでの場所を必要としているように思われる」(19)
「私の関心、あなたの関心に対する私の関心、あなたの関心、私の関心に対するあなたの関心等々は無限の螺旋形を描いて続きます」
そして、そのような関係性のうちに、
「各人がすべての他者を相互に内面化することでその統一が達成されている」(16)グループ、がレインのいう「ネクサス」(16)である。これを写真によって図示することが、牛腸版『SELF
AND OTHERS』の主要な目的のひとつであったことは間違いない。
牛腸の『SELF AND OTHERS』に選ばれ掲載された写真は、写真集の最後に入っている牛腸の子ども時代の家族写真と、牛腸自身のセルフポートレート、そして夜のグランドを靄の彼方へ駆けていく子どもたちを背後から撮った写真を別にして、みな記念写真めいた人物写真である。すべてがヨコ位置で、中心となる被写体の左右が空くから、写真に写った人物が決して大きく感じられないところへ、ページにやや多めの余白をとってあるために、映画を撮った佐藤真の第一印象のとおり「あまりに写真が小さい」(2)という感じを確かに受ける。ほとんどすべての写真の周囲にネガの画面をフルにプリントしたことがわかる黒い枠が出ているので、牛腸がヨコ位置トリミングなしの撮影を示すのにこだわったことは伝わるが、逆にそれが「同じサイズの小さい写真の集合」というイメージを強め、どこか資料写真を見せられているような気分になる。いま見てもそう感じるのだから、発表した当時はいっそうスクエアな印象を与えたはずだ。
子どもの写真はたまたま行き会いに撮っていることも多いようだが、おとなの場合は牛腸の友人を中心に彼となんらかの縁のある人たちがほとんどだ(14)。とはいえ赤ん坊からお年寄りまで写っている人々はさまざまで、屋内で、室外で、ひとりで、複数で、と状況もばらばらである。なのに、一見しただけでこれらは相当に編集の手が加わったセットであること、つまりどの写真も注意深くタッチを揃えて選ばれていることにすぐに気がつく。
もちろん最大の共通項は被写体となった人たちの「まなざし」だ。
行き会いに撮られた子どもの場合は見知らぬ人に撮られることを不審がる表情なのだろうかと想像できなくもないが、牛腸の親しい友人たちも同様に、撮られることは承知の上でそれでもどことなくうち解けない視線でこちらを見つめているので、撮影そのものよりは使用する写真の選択のほうに明らかに強い牛腸の作意があることがわかる。実際、映画『SELF
AND OTHERS』で流れてくる、牛腸に撮影された人たちのコメントを注意深く聴いていると、一様にみな、写真集に使われた写真を「あまり好きではない」と言っている。ムッとした表情だったり暗い感じで自分らしくない、と言う声が聴こえてくる。撮影された人びとが「自分らしくない」と感じる固い表情の写真。それは撮影された人にとって、自分の魂が抜けた抜け殻の標本のような無気味なものなのだろう。しかしこの「標本」−−撮られることは承知の上で十分に撮影に協力しながら、なおかつ撮影者との関係はぎりぎり客観の範囲内にとどまっている−−こそが牛腸が『SELF
AND OTHERS』という最終形のために自分が撮影した写真の中から注意深く選びだした写真の「形式」だったといえるのではないか。
この点からも、牛腸の『SELF AND OTHERS』は、牛腸の生活範囲における「ネクサス」の資料写真帖だと考えてよいことになる。レインの著書からの引用、写っている人びとと牛腸との関係……この写真集で示された「ネクサス(連鎖)」は、写っている人々が牛腸の死以後を生きてなおも編み続けるであろう「ネクサス」をすでに示している。つまりこの写真集は、人間が生を引き受ける限り結び続ける「関係」の豊かな息づかいを称える「時空を超えた空想のオデッセイ」なのだ−−。
しかし……このことは、『SELF AND OTHERS』にたたえられた<まなざし>の、悲しいほどの強さにはどうしてもそぐわない。そのような違和感が生じる原因は明白である。私たちは、まだ結論にたどり着いてはいないのだ。
------ つづく ------
この章は全編を3回に分けてお届けしています。
次回、最終稿をお楽しみに。
(13)レイン自身の文ではなく、引用された社会学者アーヴィング・ゴフマンの一文である。
(14)これら事実関係は、未来社版『SELF AND OTHERS』に付された「牛腸茂雄ノート/飯沢耕太郎)による。私の考えは「ノート」とは別の方向にいくが、「ノート」で報告されている事実関係には多くを教えられた。記して感謝する。
(15)『レイン わが半生』岩波書店・1986年
(16)『経験の政治学』みすず書房・1973年
(17)"THE WING OF MADNESS The Life and Work
of R. D. Laing" Daniel Burston, Harvard University Press.
(18)レインは60年代に起きた「反精神医学」運動の旗手とされた。この間にティモシー・リアリーのような人たちとも交友があったことは注目しておくべきだろう。しかし彼の試みは訴求力を弱めていき、非拘束治療から手を引いてアジアでの個人的な精神修養に向かうようになる。87年には患者の訴えにより、レインはイギリスでの治療資格を失う。
(19)『自己と他者』/みすず書房・1975年
牛腸茂雄 ごちょう・しげお 1946年新潟県生まれ。幼時の病気で身体に障害を負う。桑沢デザイン研究所で写真を学ぶ。東京造形大学などの非常勤講師をつとめる。78年、日本写真協会新人賞受賞。三冊の写真集、インクブロット作品集『扉をあけると』を残し、83年に36歳で亡くなる。
佐藤真 さとう・まこと 1957年青森県生まれ。東京大学文学部卒。現地で生活をともにしながら撮影した新潟水俣病患者のドキュメンタリー映画『阿賀に生きる』(92)年で高い評価を受ける。近著に『ドキュメンタリー映画の地平−世界を批判的に受けとめるために』(凱風社・上下巻)がある。
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