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三島 靖 MISHIMA Yasushi

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04:漂着した挿画 - 猪瀬光                2001.5.10


 猪瀬光という写真家のことを、知りたいと思っていた。
 写真に興味のあるかたならば、80年代なかばに写真雑誌の誌面に登場した「ドグラ・マグラ」シリーズ(1)の撮影者として、ご存じのことだろう。
 その誌面が衝撃をもって受けとめられ話題を集めた、ということが彼のプロフィールとして必ず語られるエピソードなのだが、私は当時その誌面 を見た記憶がない。したがって<衝撃>がいかなるものだったかということも体験していない。猪瀬の写 真が語られる場合最初に話題となる雑誌を買って開いて衝撃を感じた、という経験がないわけだから、ここでわけ知り顔に猪瀬のことを語るには私はいかにも役不足な気もするが。
 猪瀬光にはよく知られているエピソードがもうひとつある。それはプリントを「ひと月に1枚しか焼かない」あるいは「ひとつのイメージの完成プリントは1点きり」というものだ。作品として発表されてきたイメージの極端な少なさ、発表のインターバルの長さを語るにはぴったりの表現だが、いうまでもなくひとつのプリントを完成とするまでに決して妥協のない焼き直しを繰り返すということだろう。ほんのわずかの条件の違いで生じるプリントの表面 のどんな微細な違いも見逃さないということでもある。
 私が猪瀬の写真を初めて見たのは、彼の誌面デビューより少し後のことで、93年の初個展のときである(2)。
 この個展を見たときには、すでに知っているいくつかのイメージを彼自身のプリントで見ることができた、という記憶があるので、猪瀬の撮ったイメージ自体はそれまでに印刷物で目にしていたのだと思う。
 われながら不思議なのは、こうした経緯のうちに一度も<衝撃>を感じた記憶がない、ということだ。
 私の印象に強いのは、すでに印刷物で見ていた記憶のイメージと、印刷よりはるかにきめ細かいはずのプリントを、なぜか<同じ>ものとして、ずれを感じることなく受けとめた、ということだ。猪瀬のプリントは思ったほど大きくなく(印刷物で見た記憶より小さく感じた)、思ったほど暗くなく、思ったほど粒子が荒れていなかった。要するに、いま思えばここが重要なのだが、80年代後半以降よくいわれるようになっていた「ものとしての写 真」という点では、とくにそれを強調するような写真には見えなかった、ということだろう。すでに私の記憶にあった写 真、私の記憶のなかに形作られていた猪瀬の写真のイメージが<そのままそこに漂着したかのように>あった、ということである。
 猪瀬の写真にははじめ「ドグラ・マグラ」というシリーズ名があった。これは、精神病院の患者の手記という形をとって夢野久作が完成させた壮大なサイコ・ワールドを猪瀬自身が追いかけ視覚化してみたい、ということでもあったのだろう。
 なあんだそれじゃどんなに苦労して撮ろうが焼こうが「挿し絵」じゃないか、という批判はありうる。が、猪瀬自身、もともと写 真家よりも画家、それも自分の体験に絵を添えていくタイプの一種の挿画家になりたいという動機があったという事実を見落としてはならないだろう。私が強調しておきたいのは、はなから愚劣な小咄の挿し絵であることをはばかりもしない写 真が溢れているこの世の中に、かりに物語なき挿画ともいうべき奇妙な写真がぽつりと存在しているのだとしたら、その写 真が指し示している「物語」のことを、あるいは物語なくして挿画としてのみ存在する写 真そのもののことを、考えてみてはどうかということなのである。
 猪瀬は高校生のころ、つげ義春に熱中し、自分も旅をして見たものを絵に描きたいと思っていたそうだ。だがそれは果 たせなかった。そんなおり目にとまったのは、ある雑誌の企画でつげと旅をした北井一夫が誌面 に掲載した写真である。写真ならば、憧れた旅のイメージが自分にも作れるかもしれない、と撮りだしたという。
「ぶらぶらとカメラを持ち歩いて、偶然の出会いがあって、そこで撮るのが写 真なんですよ。ぼく自身の本当に好きな世界を撮る、そのことを続けてきただけなんです」
 このことばをそのまま受け取れば、カメラ雑誌の読者コンテストに応募するような多くの日曜写 真家たちとなんら変わるところはない。しかし猪瀬には、彼らのような微温的な感性のひとびととは本質的に違った、写 真に対する強靭な意識の持ちかたがあった。
「ぼくは『凝視型』の写真家だといわれますよね。あらかじめ自分に再現したいイメージがあって、それを撮るまでは納得しない、というように。イメージという言葉はぼくにとってばくぜんとしていて、ひとことでは説明できないんですけれどね。ただ、ファインダーで切り取られる世界、それをいかにして切り取り、どのように『枠にはめる』か、ということに熱中してしまうんです。だから35ミリカメラで撮るのが好きですね。印画紙の世界も好きですから、ぼくが切り取った世界を印画紙の世界に完璧に定義したい、と思うんです」
 何をするにせよ、凝りすぎ、ということの弊はあるのではないかと思い、はじめのうちは猪瀬がなぜそんなにも「凝視」し、完璧に撮って完璧に焼き付けようとするのかがわからなかった。写 真を視覚表現の一分野と考えるなら、イメージの捕獲と複製が容易であるという点は写 真の重要なアドバンテージのひとつだろうと思うのだが、猪瀬の場合それをわざわざ拒否しているとしか思えなかった。しかし彼の写 真への思いを知るにつれ、かような私の考えなどただの「面倒くさがり」が写 真をなめきった発想でしかないことはおのずと明らかになる。
「ぼくは写真というものが好きなんですよ。写真しかないよね、って感じです。写 真がなければ、ぼくにとってモノとのつながりや出会いってまったく存在しなかったんです。だから写 真のプロセスを完璧にやりたい。完全にやりたいんです」
 いわば第二志望といえなくもなかった写真がそこまで好きになれたのは、大学の写 真学科に通ったからだろう。学校では合評などこそしたものの「写真を習ったという感じはないですよ」という。しかし写 真学生時代に、「夫を看取る」という老人介護をテーマにしたテレビ番組取材の手伝いをして現場に立ち会う経験をした。そこで猪瀬は、人が死につつあるという状況を見て強い印象を受ける。その「見る衝撃」が、通 常のドキュメント写真とは違った方法で、自分のタッチで写真にならないかと考えるのである。テレビという、ドキュメントのスタイルにおけるもっともプロフェッショナルな(すなわちもっとも凡庸だということでもあるが)方法論のおしりにくっついて手伝いをしていたひとりの写 真学生が、ほとんど奇跡的に、まさにスタイルが持つ典型のクリシェを回避するところから写 真を立ち上げていったのである。
 当然ながらこの写真学生が持ってくるようになった写真は、教える側には注目もされたが拒絶反応にもあう。ここで、彼の直接の先生であった井上青龍(大阪の釜ケ崎などの写 真で知られる、ほかならぬドキュメント写真家だ)が、ひとつの写真の可能性として認め、迷わず推してくれたことは大きい。 「写真とはこういうものだ、とはいわないんです。『お前はこれでいけ。お前はこの世界を構築していけよ』と。写 真はどこまでいっても感じかたの問題なのであって、ぼくの写真も、嫌いだと感じる人には受け入れられないでしょう。写 真に、むずかしい理論の鎧はいくらでも着せられる。けれどそれがすべてじゃないと思うんです」
 さて私は、猪瀬光の写真を語るときに落とされることのない三つめの要素、つまり彼が解剖学教室を舞台に、死体や、ばらばらにされた人体のパーツ、胎児の標本などを撮っていて、そのことで大きく注目されてきたことをここまで語らなかった。それはつぎのように私が考えるからである。
「見る衝撃」を写真にすることを考え続ける彼ならば、その存在が衝撃的に見えるものを撮ろうとするのは自然だろう。つげ義春や夢野久作に影響されたのだとすれば、日常的な事物や生活実感の裂け目に「衝撃」を見いだして撮ろうとすることもまた、自然なことだ。同時代都市の表面 を撮り集めていくだけでそれが殺人現場であるかのようにいわしめたアジェの例をひくまでもなく、足元が揺らぐようなものごとの見えようというものは、ほとんど常に、ごく平凡なものの組み合わせで成り立っていたり、当たり前の出来事のすぐ裏側に貼りついていたりするものだからである。だから猪瀬がこれほど少ない枚数の発表作を、基本的には35ミリカメラの手持ちで撮るという、行為と結果 が矛盾するような撮影方法で生み出したのは納得できる。森の木々に向けられたすぐ次の瞬間に解剖学教室に向けられたように感じ、またモノの細部へ息苦しいほど近寄ったかと思うと急に彼方を呆然と見渡すかのように、静かに時間を定着させたようなプリントの間で荒々しく動くカメラの切り返しの激しさの暗示こそが、猪瀬の写 真の鋭さの軸だと私は考える。
 となれば、たとえば死体を撮っているからその写真が衝撃的で、衝撃的だから価値がある、という文脈はもちろんおかしいし、あるいは猪瀬が撮った死体の写 真1点をとりあげて死とか生とかを考えてみようとするのは、する意味がないとはいわないが、猪瀬の写 真を見ることからは遠ざかってしまうように感じる。だがその一方で、なぜカメラ(視点)を動かすのか、ある明確な位 置に固定すべきなのではないか、という批判は成立しうるだろう(5)し、凝視する写 真家ならばそれらしく凝視せよ、という異論は写真家の行動を愛する者の言葉として一定の説得力を持つ。
 と思いながらも私は、写真家の行動の先鋭化が必ずしも写真の先鋭化に結びつかないところが写 真のむずかしく、また面白いところだと考えてもいて、猪瀬光というひとが、はたして「死体写 真家」であったなら、私はかような関心を抱いただろうか、と考えてもみた。なかなか世に姿を現さない写 真家の死体の写真を見たかどうか、そのようなことをこの話の軸に据えなければならないのなら、私は直接、死体を見に行くだろう。ここでの私の関心は、私にとって異物であるものを写 真に置き換えた存在が(まわりくどいいいかただが、要するに写真が、ということだ)、私にとって何なのだろうか、ということでしかない。
 そんなおり、8年ぶりだという個展がこの春に東京・銀座のギャラリーで開かれた(6)。
 今回もまた多くはない展示作品のなかには、おそらく解剖実習に使われ解体されていったところと思われる死体の写 真があった。パノラマカメラ(7)を使った新作も加わっていたところが新しいといえば新しかっただろうか。
 写真展を見ると、やはり「死体」と「衝撃的」ということばを最初に持ってくるのはどうにもすわりが悪く感じられた(8)。プリントについては、再びオーソドックスで完成度の高い職人的作業(9)を私は目にしたし、目の前の写 真が「気持ち悪い」とされるイメージであればあるほど、私の気持ちは澄み、その透明な意識のなかでモノクロに移し換えられた映像の手触りのようなものが豊かにざわつきだすのである。奇妙なことに、写 っているものの一般的な見られようが「怖」ければ怖いほど、私はその写真にある種の親しささえ感じて見いってしまう。それは決して死体に対するフェティッシュではない。だいたい、写 っているものが、怖がらせるための恐怖映画と同じようなタッチで見えたなら、恐怖映画が苦手の私などひと目その写 真を見ただけでスタコラ逃げ出してしまっているはずだ。  ごく普通の事物のなかに異物があり、異景がある。普通 の景色の手前に奥に、異景がたちあがる。その存在は私たちの想像力を育み、逆に私たちが世界を直視しようとする力を養う。猪瀬光の数少ない写 真たちは、それぞれ1点きりに研ぎすまされた鋭さで私たちの眼を磨く。これが異物の写 真だよと色鮮やかな印刷物を見せられたときのあの絶望的なリアリティの欠如と見世物的な恐怖感をあざやかに振り払って、モノクロームの手触りが<そこにあった/ここにある>事物の厳密なまでに正確な拓本として私たちに届いてくる。それらはまた、内向的で閉鎖的だと想像された猪瀬自身の作業とはまったく逆に、ある明確なシグナルを発して、すくなくない数の敏感な人びとをひきつけてやまない。
 猪瀬の写真の1点に、大きな波の打ち寄せる渚の写真がある。この海の彼方から打ち寄せてくるものに、ほかすべての写 真がほかならぬ私に向かって運ばれ、また消えていくのだ、と考えるのが私はたまらなく好きだ。
 これらの写真が、どのような物語の挿画であるのか、撮影者がいかなる物語を軸にこれらのわずかな写 真を組み立て並べ替えているのか、そのことは、もはや私にはどうでもいいことだったりする。私はこれらの物語なき挿画を、私自身の「美しさ」への感受性に添えることができたらとつねに願う。

「遺体は深い海に落ちていった。あっというまのことではあったが、息をころして見守っている人びとにはそれが何世紀もの長い時間のように感じられた。水死人の姿が見えなくなると、とたんにかけがえのない大切なものを失ってしまったような気持ちに襲われた。顔を見合わせて確かめ合うまでもなく、そのことが痛いほどはっきりと感じられたが、その一方で、これからはすべてが一変するだろうという予感もあった」(10)


(1)『Photo Japon』1986年に3回にわたり掲載された。
(2)I.C.A.C.ウェストン・ギャラリー(東京・新宿)。現在は閉廊。
(3)あらためて正確に説明せよといわれると私にもむずかしいが、コマーシャルギャラリーとの契約を軸に、同じイメ ージ を同じクオリティで限られた枚数、撮影者が直接作業するかもしくは信頼して託したプリンターの手によって 仕上げ、必要に応じ自身のサインやエディションナンバーを明記した販売用プリント、と理解している。コレクシ ョンとして保存されたりさまざまな環境に飾られたりするのだから、カラーでもモノクロでも経年変化の少ない素 材にプリントされるのが一般的だろう。撮影に比較的近い時期に撮影者自らが完成プリントとしたものをとくに「 ヴィンテージプリント」と呼ぶようだ。版画(リトグラフ)の販売形式をもとにしているために、厳密には決めた枚 数を完成したら版をこわす、つまりネガにパンチを入れたり、契約ギャラリーにネガを預けてしまうのが本当のよう だ。くわしいかたがおられたらご教示いただきたい。
(4)話がそれたままイヤミをいうのもなんだが、要するにバライタ印画紙に焼いて無酸性マットとやらをかけてあれ芸術写 真であると称してはばからない輩がいた、ということだ。ついでにいうと、編集者などに写 真を見せたとき、 最初に「プリントがきれいですね」といわれた場合、その内実は以下の二つである。
   1=ひと目でダメだと思ったが、持ってきた写真家が美人だったり、紹介者への義理ダテなどでダメだといえな い
   2=自分の感性が貧しくて「よくわからない」といえないときの場つなぎ
(5)たとえば『デジャ=ヴュ』12号(1993年)での今野裕一の写真展評
(6)Space Kobo & Tomo(東京・銀座)。2001年3月中〜下旬。
(7)35ミリカメラの2コマ分を使用することで「35ミリフルサイズパノラマ」が撮れるフジTX-1。
(8)私が『アサヒカメラ』2001年5月号で書いていることと矛盾するようだが、本意はこのとおりである。
(9)コダックのトライX(フィルム)とエクタルア(印画紙)を使用しているそうだ。トライXはコダック社のモノクロフィルムで現在主力商品のTマックスのひと世代前で若干粒子があり、エクタルアはポートレート用で紙がわずかにブロマイド調のクリーム色をしている。号数は2号のみ(製造中止)。「ものとしての写 真」いう主張はそれほど感じられないと書いたが、写真を作った経験をお持ちのかたなら、この写 真家が相当に粒子の感じや紙の表面性にこだわってプリントしていることは理解できるだろう。
(10)「この世でいちばん美しい水死人」(G・ガルシア=マルケス/鼓直・木村栄一 訳/ちくま文庫『エレンディラ』)

*『アサヒカメラ』2001年5月号の拙稿を大幅に改稿。猪瀬の発言はすべて誌面で発表されたものを改変なく引用。

猪瀬光 いのせ・こう 1960年埼玉県生まれ。大阪芸術大学写真学科卒業。93年、東川国際写 真フェスティバル新人作家賞。

 

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