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三島 靖 MISHIMA Yasushi

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01:砂時計の男−−金村修

2001.3.28


 金村修が続けて三冊の写真集を出している(1)。
 どの本もそれぞれに編集・デザイン上の工夫が異なる独自のスタイルで、写真のレイアウトや印刷のタッチも含めて本として見ての共通点はほとんどないといっていい。 しかし、繰り返し目を通しているうちに、本の外観の大きな違いとはうらはらに、これら三冊はどうしようもなく同じだ、ということに気づく。ほかならぬ金村の写真が、それぞれの本が設定している編集やデザインの枠に決してとらわれず、本という形式など実は無視しているかのような、怖ろしいほどの「同じさ」で目に刺さってくるのだ。
 私は、雑誌の編集者がよく使うような「強い写真・弱い写真」という話をしているのではない。また、金村の写真の独自性とか自律性というようなことをいっているのでもない。この点でいうならば、私は金村の写真はたいへんオーソドックスなものだと思う。では普通の写真とは何なんだという話をしはじめると私自身が迷路に迷い込む可能性がなきにしもあらずで、ボロが出る前に逃げ出そうという気分にもなるが、要するに意図的な「強め」の操作というものが思ったより少ない、というか、ほとんどされていない写真だ、ということを感じるのである。オーソドックス、という言葉の感触にそっていうならば私は、この写真に一種の「丁寧さ」さえ感じる。というのは、かりに撮影そのものが相当乱暴に、当たるをさいわい、という感じで行われているとすれば(私自身はそうではないと思うが)、少なくともその行動をうち消す方向にはたらく「選び」が行われている、そんな「丁寧さ」のことだ。

 この点で、たとえば映画を撮る人間が、ある雑誌の対談で金村の写真を「映画の看板とか文字に都市の記憶がひっついているし、この露出の切り方が、60年代後半から70年代初頭という感じがしちゃう。つげ義春チックというか」(青山真治/『アサヒカメラ』2000年2月号)と評していることなどは私には大変興味深いのである。惜しいことにこの発言をめぐる対談のやりとりは短く、なおかつ、写真集の作り方によって写真は違って見えるので、この場で写真集を見ただけで金村の写真をそのようにとらえられるのは惜しい、というようなやりとりに終わっているために、私の興味はそこで宙に浮いてしまうのだが。
 金村修の写真展をいくたびか見て、写真原稿を見て、写真集を見て、作品のサイズであるとかプリントと印刷で見た場合の違いなどほとんど意味がないような、恐るべき同じさ、としかいいようのないものに長らくとらわれてしまっている私としては、この発言について少し深読みをするしかない。しかしその読みはあながち間違いではないと思う。つまり、さきの短い発言で注目すべきなのは、青山真治という、映像に関しては相当なスタイリストのひとりであるとみてよいであろう映画監督が、金村の写真について、明らかに(青山にとって)クラシックな「スタイル」がある、と評していることだ。「スタイル」というのはやっかいなもので、
「ない」といえばいうほど、それが「ある」という方向へ雑駁に分類することが容易になってしまう。実は金村修の写真にも そういうところがある。使うカメラの種類から、狙った視野のパースペクティブや距離のとりかた、画面に入り込む記号(広告の文字など)や直線(多くの電線!)の扱い、そしてプリントのトーンに至るまで、これが既存の「スタイル」のかなり洗練された組み合わせからなる、まぎれもない「スタイル」の産物であることは、写真の撮影や焼付を学んだ人にはおそらく自明のことであり、私が指摘するまでもないことだろう。
 ここで私が考えたいのは、金村修が、この、それほど新しくもない「スタイル」をなぜかくも執拗に繰り返すのか、そして、その怖ろしいほどの執拗な反復がなぜ通俗的な凡庸さに堕さないのか、ということなのである。

 ありていにいって、金村修の写真のどれか一枚が私を感動させてやまないということは(私がふだん、一枚の写真に感動するというような情緒的な反応はあまりしない性質だということを差し引いても)、まずないといっていい。10年ほど前に初めて金村本人に会って、直接写真を(印刷原稿だったと思うが)見せてもらったときから、私の印象は同じだった。つまり、私にとってはことの初めから金村の写真は「反復」の集合体として、また「反復」の過程として、私の前にあり続けてきたということになる。
 だが私は、その「反復」に飽きたと思ったことはない。むしろ、さまざまな写真を見ている、見せられている日常の中で、忘れたころにこの「反復」に出くわしたとき、私などは写真を見る感覚がゆらぐような気がする。たとえばそれは、人びとがそれが示 す時間を基準に生きている大きな時計のある時計塔の中で、ひとりの男が、大きな砂時計を繰り返しひっくり返し続けているのを目撃した、そんな感じなのである。
 その男にとって、砂時計をひっくり返すことで認識される時間と彼がいる時計塔にある時計が示す時間のずれなど意味はない。彼にとって重要なのは、砂時計をひっくり返し続けることで、時計塔という時間の建造物の中で、時間と「関係する」ということなのだ。時計塔に備えられた大きな時計が、彼の計っている時に合わせられることは、ついぞないかも知れず、時計塔の時計を見ている人びとにとって、彼の砂時計の存在はほとんど無意味なものに違いない。しかし時というものが同じように無意味であるのなら、より重要なのは、「示される時間によって生きる」ことではなく、「作り出す時間を生きる」ことであろう。砂時計の男に感じる驚きと恐怖、そしてある種の感動は、何よりも「反復」を続けるその男の、捨て身の態度に示された誠意があまりにも美しいためであることは、いうまでもないことだ。
 金村は書いている。
「俺は同じ事をやり続けるしかないし、そういう決意でもしなきゃ一枚も写真なんて撮れないだろう。よく色々な人にカラーをやらないかだの、人物を撮らないかだの、違う国で撮らないかだのバカなことを聞かされるけど、そんなことをやる訳ないだろう。そんな無節操な礼儀知らずのことなんかしたくもない。恥知らずに写真が撮れるのか。 写真を撮るというのは信義の問題で、それは誰にも分からない信義なのだろうけど、そこが一番重要な問題だ」(2)
 私はほとんど、この「信義」を考えることを通じて、金村の写真でもって写真全体を考えようとすることさえあるといっていい。
 金村のいう「誰にも分からない信義」を、感覚的に感じとる方法がある。音楽をかけながら金村の写真を見ることである。
 BGMというものは私たちの生活でごく自然なものとなっているし、最近では音楽CDつきの写真集だってある。ここまでに書いてきた問題意識などなくとも、金村はパンクロッカーでもあるということが知られているから、暴力的にチューニングがずれたような音楽を流しながらその写真を見てみよう、と思うのは自然だろう。だが、合わない。まったく合わない。たとえばキング・クリムゾンのように、メタリックな反復とずれによってできている音楽を流しながら見ることも想像できるが、実際にやってみるとこれも合わない。
 あれこれと音楽をかけ替えているうちに、誰もが気づくはずだ。この写真は、写真にBGMを添えるという「無節操な礼儀知らずのこと」にまったくそぐわない「信義」によって、できているものなのだと。

 

 それにしても、この写真がそれほどに厳しくできているのだとしたら、私が書いているような理詰めの認識はできたとしても、共感というような感情を示すのは不可能ではないか、という考え方もあるだろう。ここでは三冊の写真集を座して読む、ということから話がはじめられているのに、おちおち眺めてもいられない、というように。
 ただ、金村の写真には、こちらの感情を揺さぶる情緒がある。 
 たとえばアジェの写真も、本当にそれがアジェの情緒が関与した痕跡のまったくない、ただの画家のお手本用の写真の集積であったなら、アジェの写真をひとりの写真家の生きていた証として認めようとする人などいなかったのではないか。研究が進んで現在までに知られているように、アジェの写真は、アジェなりの「パリの地図」であったし、しばしば求められてその期待に応じるために編まれた地図でもあったのだ。
 金村の写真の場合は、金村が「地図」を作っているかどうかは別として、私の場合 は標準よりも暗く見えるプリントに、ある情緒を感じてしまう。金村自身が「消極的な 選択方法の一つ」としているその写真で、写真そのもののアイデンティティに関わるよ うな何ごとかをしたいと思っている、そうに違いないと感じながら、見てしまうのである。もしそうなのだとすれば、金村自身が鈴木清順や加藤泰の映画が好きだと書いてい ることから分かるように、乱雑で無計画に見える態度の中に、鉄の意思で映画なり写真なりというフォーマットが構築されていくことの美しさ、そこだけを追及してみようとしているのではないか。極端なローアングルと固定したカメラで自身のフォーマットを美学の域に高めた加藤泰その人がこういっているように。
「なるほど上下左右は有限ではあるけれども、見えないけれど無限なんですね。見えてるのは、見えるということでかえって有限である。見えないということで、かえって無限である。そういうことにふっと気が付いたことがあるんです。そうすると、キャメ ラを動かさない。動かせば、どこまで行っても有限ですね。見えるだけで有限。で、動かさない。そうするとその外は無限なわけですね。(略)よおし、これで行ったれ、と。行けるところまで行ったれ、と。」(3)
 いっぽうで捨て身のヤクザ者が「信義」だけで殴り込んできた決死の状況でありながら、どこかでフレームを突き抜けて広がっていく美しい感情の揺れ−−それじゃ加藤泰のヤクザ映画そのままやんけ、ということになってしまうかも知れない。私は金村修の写真について、このあたりで「共感」している部分もないとはいえない。が、私ごときはともかくとして、もし金村の側でそうなのだとしたら(プリントのトーンも私がいっているような情緒の産物なのだとしたら)、それは金村にとってはひとつの課題であるというべきであろう。
 ともあれ、世評では「土門拳賞らしくない」(4)ともいわれた金村の写真だが、
「写真に関しては、これ以外他にできることもないだろうという本当に消極的な選択しかできなかった」
という金村が、土門拳と縁があった、ということは不思議でもなんでもない。
「写真というものを全然知らないし、なんの興味もなかった」「万策尽きた後の道でもあつた」(5)
 と書いている土門拳にとってまた、写真は「信義」の問題だったからである。(6)


(1)『Happiness is a Red before Exploding』(ワイズ出版・2000年)
   『SPIDER'S STRATEGY』(河出書房新社・2001年)
   『I CAN TELL』(芳賀書店・2001年)
(2)以下、引用は『I CAN TELL』から
(3)『加藤泰、映画を語る』筑摩書房・1994年
(4)第19回・土門拳賞を受賞している
(5)『アサヒカメラ』1954年10月号、『写真文化』1943年3月号
(6)筆の勢いにまかせてこういう文章を書くと、出会い頭に刺される、というのが写真の面白いところである。
   どうやら男は<砂時計を持ったまま>おしゃれがしてみたくなった(『Fu』Vol.1/エイムック)らしい
   (2000.4.20)。

金村修 かねむら・おさむ 1964年東京都生まれ。東京綜合写真専門学校卒。卒業と同年に東京・銀座ニコンで発表した「Crashlanding in Tokyo's Dream」(93年)で注目される。早くから海外で注目され、96年にはニューヨーク近代美術館でのグループ展にも招かれる。第13回東川賞新人作家賞、日本写 真家協会新人賞、第19回土門拳賞。国内での展示も多い。

 

 

 

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