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山田大輔が作品ビデオを送ってきた。タイトルは 「犬死にしなかった猫背の小男」。art & river bank galleryでの第2回「thinking about dog's death」展*1 への出品作に技術的改良を加え、改めて配給版を つくったという。「ドッグズデス」展はこの夏も第3回が 行われたから、ちょうど季節ひとめぐりとずいぶん遅い 評になるが、見た者も少なく、大事な作品であるので、 ここに紹介したい。 この28分の映像作品に実は写真は一点も使われ ていない。あるのは短いセンテンスからなるテキスト、 その背景となるビビッドではあるが単色の画面、 山田作品ではおなじみのテキストを棒読みするコン ピュータ音声、それだけである。しかもテキストは 他者によって書かれ、全ての人に公開された情報から 山田がただ採用したものである。つくろうと思えば 誰にでもつくりえたものなのだ。しかしそれだけに、 これら素材を作品として隆起せしめた作家の意志= コンセプトの、堅牢さ、鮮やかさが際立つ。 「犬死にしなかった猫背の小男」。マンダリンの背景色に タイトルが入る。 9月22日。入院。手術。森岡教授の 執刀で2時間半。通過障害部にバイパス。「慢性 すい炎の疑い」。短いセンテンスがパッパッと書き文字で 画面に入り、ときにすっとんきょうに裏返る音声で読み上げ られる。組織とり病理検査。国事行為は皇太子が臨時代行。 そう、(タイトルも暗示しているように)これは昭和天皇、かの人 の発病そして崩御にいたるまでの病状の公式発表、 覚えている方も多いであろう、あの時期、延々と新聞に 記載されテレビ・ニュースで報じられ続けた、そっけなく短い、 事実データを装いつつもいつもほんとのことは隠されていた、 あの大本営発表が、この作品のほとんどを占めるテキスト なのである。山田の<意志>はいたってシンプルだ。 テキストは発病から崩御まで、時間軸にそって進行する。 いや、一度だけ逆行する。上で示した9/22の直後。画面は 一転して、噴きだしたばかりの血色のような鮮やかな真紅に。 そして8月15日。全国戦没者追悼会に出席。画面は アイス・ピンクにふたたび転じて9月19日。午後10時前に 食べ物といっしょに大量の吐血。十二指腸周辺から出血。 消化管に潰瘍。吐血・下血は、20日未明まで数回にわた る。9月20日。未明、800ccの輸血。点滴など緊急治療。 正午前と午後にも200ccの輸血。この日の輸血は合計 1200cc。9月23日。新たな下血。200ccずつ2回輸血。 吐血後も出血続く。・・・と以後、テキストは冒頭の9/22の入院 以後にかさなってゆく。 体温。脈拍数。血圧。輸血量。下血。発熱。輸血、そして下血。 画面がレモン・イエローに転じてふたたび「犬死にしなかった 猫背の小男」のタイトル。10月11日。輸血総量6915cc。 10月16日以降は下血、また下血、かなり大量の下血となり 呼応するように画面は再び血色だ。11月20日ともなると輸血 総量は20000ccを越すように。12月30日。400cc輸血。 途中で下血。さらに200cc輸血。12月31日若干量の下血。 600ccを輸血。1月1日。多量の出血。1000ccを輸血・・・ だんだんモニターで観ているこちらも気が遠くなってくる。亡く なったのはいつだったか? 「兵隊の死ぬるや あわれ/遠い 他国で/ひょんと死ぬるや/だまって だれもいないところで/ ひょんと死ぬるや」と竹内浩三が詠った*2ように犬死にした 無数の兵士や非戦闘員とちがって「猫背の小男」はなかなか 死なない。否、死なせてもらえない。 かの人が統治した帝国のもろもろの虚実、「象徴」となってのち 起こったことども、崩御前のひと騒動、 (その瞬間を待ち深夜も休むことのなかったテレビの静止画面は たしか皇居の御堀を延々と映じていたっけ、はてあの頃私は なにをしていただろう・・・?)さまざまに交錯する思いの果てに 最後は、いくつものチューブ管につながれ近代医療の数値の 表象をまとって死んでゆく、ひとりの人間を思い、いや、やはり この人はあの「猫背の小男」だと思い直し・・・ 1月7日。午前6時33分、十二指腸部の腺癌のため、皇居 吹上御所で逝去。87歳。 ああ、終わった、と思ったら山田は最後にもうひとひねりして いた。中野重治の詩「雨の降る品川駅」全文をそのまま 掲げていたのだ。長くなるがここにも全文を記すことにする。 雨の降る品川駅 中野重治*3 御大典記念に 李北満・金浩永におくる 雨のそぼ降る品川駅にたたずむテロリストたちの後ろ姿が 眼球の奥でちらちらする。この詩の中で詩人が立ち上げた 幻視、あたかも神話のなかの王(=熊)殺しのように、「彼を 捕らえ/彼の顎を突き上げて保ち/彼の胸元に刃物を突き刺し/ 返り血を浴びて/温もりある復讐の歓喜のなかに泣き笑」う時、 チューブ管につながれた小男は王としてふたたび現前する。 なんとこれでは挽歌だ。フクザツにも山田の知的操作によって プロレタリアートの慟哭は、王を王として死なしめる挽歌となった、 中野と、そしてそれを包みこむ山田の、二重の幻視のなかで・・・。 これらの作業は主として言語で行われているが、文字および画面の 繊細な処理が、この作品はやはり visual art に足場をおくものだと 思い至らせる。*4 それにしても・・・平成16年9月、テロリズムは、 未来への希望をつなぐ子どもすら標的として大量虐殺するまでになり、 王殺しはもはや古風なものとなった。 *1
同展の主旨についてはphoto-eyes アーカイヴ版#1066参照。
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