けっして私のものではない事物を、
まさしく事物であることによって事物であるものを
まず確認することから出発しなければならないのだ。
世界が在り、私もまた在るのだということ。
──中平卓馬 「なぜ、植物図鑑か」

 「たていちの画面は意志的な物言い、と言えるかもしれませんね」と高梨豊さんが言ったとき、それは、photographers' galleryで催された吉増剛造、四方田犬彦両氏との座談の場で、多重露光を駆使した吉増氏のよこいちの写真作品を前に述べられたのだけど、そのとき私が想っていたのは横浜美術館で見た中平卓馬の最新作の写真、たていちの作品群のことだ。1)

 あのとき、森閑とした展示室で長々とパネルに掲げられた中平の写真論「なぜ、植物図鑑か」を読んだ。

・・・一体世界を説明することなどができるだろうか。また説明できる世界ならば今さら説明する必要などがどこにあるだろうか。そうではなく、「客観的に」叙述すること、(叙述とは意識の流れそのものである)そのことによって彼は事物と私との絶対的な背反、その分水嶺をただあきらかにしようとしているにすぎないのだ。 われわれは事物を凝視し、それを所有しようと事物に突進する。だが事物はそれに対して何も答えはしない。われわれの視線は事物の堅牢な外皮によってはじき返されるだけである。われわれの視線を前にして事物は絶えざる後退としてある。だがまさしくこの一点、私の視線がはじき返されるその一点から、事物の視線は私に向かって投げかえされはじめると言っても同じことだろう。私の視線と事物(もの)の視線とが織りなす磁気を帯びた場、それが世界なのだ。 2)


ここでいう<彼>とはアラン・ロブ=グリエのことで、中平は 他にもル・クレジオの小説を引用しながら、
「事物が事物であること、それ自体としてあり、あり続けることがもつ、 それを発見することによって生まれてくるエロティシズム」を写真表現でも追求しようとしていた(と察せられる)。。

とまれ当時流行りのヌーヴォー・ロマンを持ち出さずとも、 これって、ブディズムの境地のとば口だよなあ、<空即是色>の色ってエロティシズムだよなあ、中平の文からはそこまで読めないけど、中平も本能的に気づいていたに違いない、事物が事物であることを極めた先には<色即是空>=物質的現象には実体がない、となってしまうことを。そしてだからこそ<空即是色>に立ち戻り、 この世の<色>を愛でつつも、自身は<彼岸に行き行きて行ける者>として生の中を流れてゆくしかないことを。 あれ、これって実はアラーキーの境地だったりして? とまれナザレのイエスもゴータマ・シッダールタも、自身は何も書き残さなかった。書く必要性を感じなかったのだろう。 なんかを撮りたいとか、つくりたいって、執着そのものなのだから。 般若心経の最後、ぎゃあてい、ぎゃあてい、はらそーぎゃあてい、このくだりの本当の意味を知ってから、私はここを読むと胸がいっぱいになってしまう。

ゆける者よ、ゆける者よ、彼岸にゆける者よ
彼岸にまったくゆける者よ
さとりよ
幸あれ   「般若波羅蜜多心経」

どこかずっと中平卓馬に直面することを避けてきたように思う。 この年になるまで待って、横浜美術館でやっと向かいあって正解だった。十代なんかで出会っていたら、たぶんぶっとばされ、 なにもつくれなくなってしまうかも。そういうめにあった若い写真家、 多いんじゃないか。植物図鑑のように無為の目で撮ろうとした 中平自身が、ドラッグの多用で記憶障害を起こすまでに、 いちばん苦しかったのかもしれないが。3)

ほとんどの大家の回顧展で、最新作は出口近くに展示される ことが多いけれど(そして残念ながら代表作よりパワー・ダウンした作品である場合が多いのだが)、中平の最新作は会場の 入り口、鑑賞者が最初に見るべく置かれていた。それらの 写真群は、どこかアマチュアがまぐれにすごい写真を撮ってしまったかのようでもありまた、<作家性>を排除しつつも なにやら撮影者のうぅっという<気>のようなもの、結局、中平そのヒトが迫ってきて・・・とまれ、プリントは美術館の展示らしく見事に仕上げられ、かの<たていち>画面であったのだ。

一時は真の無為者だった中平の最新作が、<意志的な物言い> だとしたら、それは結局のところ、何なんだろう? <事物が事物であること>は極められたのか、否か? 正直言って私にもよく分からない。ただ、中平であれ誰であれ 撮り続け、つくり続けることを「是なり!」といまは感じている。

1) 吉増剛造写真展「詩ノ汐ノ穴」(2003. 11.13-26)の関連イベントとして11月13日に催された。中平卓馬写真展「原点復帰--横浜」は(2003. 10.4-12.7)に催された
2) オンデマンド出版で手に入れた「中平卓馬の写真論」(発売/トランスアート)pp.19-20
3) 時代のめぐり合わせ・・・というものも感じてしまう。中平が苦悶の中で模索してきたものは90年代以降の現代美術家や現在形の現代写真家たちによって、こういうのもありではと、徐々に作品化されてきたように思うから。彼があと30年遅く生まれていたら、 作家としてもっと生きやすかっただろうか? しかし彼が突きつけた思考の刃が同世代や後進の写真家にはかり知れない影響を与え続けたことは確かである。