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#1
イラク侵略(shock and awe -- 「作戦 衝撃と怖れ」。 よくも名づけたもんだ)が始って一週間。繰り返し流される戦いの映像に、魂の深いところが痛めつけられるのを感じている。 (もう一か月前からずっと)家人が、それでなくても陰気なのに、 いっそう陰気な声で夜な夜な食卓でブッシュ政権への呪詛を唱えるため、分かるけど、ますます胸がふさがる。戦争を止めれない無力感。いやそれ以上に、人類が苦闘しながらも、なんとかここまで築きあげてきたルール、理念(=永遠の真実在)や理想 (=実現可能なものとして、行為の目的&起動力となるもの)が、粉々にされたことが問題なのだ。失われたものの大きさに、 打ちのめされる。
#2
自分のなかにも矛盾、もどかしさがある。外交パフォーマンス能力のまずさは救いようがないけれど、日米同盟という現実を取らざるをえないとした、小泉政権の判断を糾弾しきれない。国防はアメリカにお願いして、曖昧な平和と経済的繁栄を手にしようとするのは吉田茂以来の自民党のお家芸ドクトリン。いや、
居心地がいいからそのままにしてきた、日本国民の総意である。 26日付け朝日朝刊の宮沢喜一の発言などみると、反戦の気運が、日米同盟の見直しにおわらず、日本の国防自立→核武装
へとぶれかねないことを危惧しており、確かになかなか一筋縄ではゆかない。
#3
非核・非武装・非暴力で国家の自立と安泰を維持するには 相当の覚悟と強靭な意志、16世紀のフィレンチェに向こうを張る老獪な外交手腕が必要だろう。はたして可能なことなのか?
#4
それでもなお、理念/理想を手放すわけにはゆかない。 手放したとき、ヒトは気高さを失う。
#5
ベートーヴェンはナポレオンにささげてピアノ協奏曲第5番 「皇帝」を書いた。欧州を君主制から解放するはずだった英雄はじきに作曲家の期待を裏切ることになる。それでも、稀有な弾き手がこの曲を奏でるとき、時間と空間を超えてたち上がるものがある。それは自由・平等・友愛を信頼した若々しい18世紀の時代精神、
人類の希望、のようなものであり、ベートーヴェンその人の気高さ である(とわたしは思う)。
#6
時間と空間を超えてヒトをつなぐものが存在する。時間と空 間を超えてつながってゆく心的能力を、ヒトは有している。
#7
一週間前の昼下がり、わたしは映像作家出光真子のスタジオで、70年代初期の彼女の未発表作品を見ていた。当時のビデオの技術的問題でそのモノクロ画面はざらつき、薄暗い。照明なしで撮影された室内の壁らしきものがゆっくりパンされてゆく。具象であるにもかかわらず抽象を意図された画面は見るものの空間認識を混乱させて、いきなり、ふいっと窓辺に移行する。窓越しには光にみちた住宅街の遠景。逆光で黒い影となった女性の右腕が屈伸運動を繰り返す。ちからこぶをつくるように、
ぐい、ぐいっと、何度も何度も。
#8
「I want to look out」というタイトルは、外にうち出たい、とも、 なにかを見つけたい、ともとれる。すでに実験映像史に名を残す作家であるが、当時の彼女はまだほとんど無名。主婦/母親として、外的にも内的にも閉塞した状況下にあり、悪戦苦闘していた時期だと、わたしは知っている。誰に見せるあてもない。絵になる
ものも何もない。それでも映像の中の<彼女>は窓辺でひたすら ちからこぶをつくり続ける。結局、彼女はこの作品を未完成として発表しないままにした。そして30年余の時間をへて、わたしはこのきわめて具象でいながら抽象的な映像から、確かなメッセージを
受け取る。無力感にふやけ、漠とした魂に、活を入れられて。
#9
he cried out in his anger and his shame
"I am leaving, I am leaving"
But the fighter still remains
Lie-la-lie
The Boxer, words by Paul Simon
#10
映像作家集団 VIDEO ACT! が自らのサイトで、都内各地の 反戦デモの様子を記録編集、動画にて即日掲載している。ここにも、 アクティブかつ確かな映像表現がある。ぜひ訪れてほしい。
VIDEO ACT!
http://www1.jca.apc.org/videoact/
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