|
|
|
ここのところ好企画が続いていて、充実した写 真感情の 日々を送っています。 まず尾仲浩二「あの頃東京で・・」(pgにて4.8-4.21)。小ぶりで緻密なプリントに、思わずもっとよく見ようと近づ くと、視線より下めに展示してあるので、なんかのぞきこむような感じになる。(あとで本人にお会いしたが、どうや ら意図したことであったようだ。)鑑賞しているうちに、水中箱をのぞくような、デパートの屋上でコイン数枚入れて のぞいたキネトスコープみたいな親しみがわいてくる。胸にひなた水が注ぎこまれたように、じんわりとね。 写されているのは80年代の新宿が多いらしいが、これまたいつの時代か分からない、それでいてよく知ってい て、いつかまたそこに戻ってゆける気がする町なのだ。萩原朔太郎、いや、つげ義春版「猫町」か、夢の中で 繰り返し見る、子どもの頃の家路みたいに。(そう言えば昼下がりのショットもあったはずなのに、いまこうして思い 出そうとするとなんか夕暮れのシーンばかりのような。) センチメントに過ぎる鑑賞? でも、新たな知の地平を切り開く<現代美術>はむろん刺激的だけれど、写真のこうし た愉楽を切り捨てるのは、香りのない紅茶、煙のない煙草をのむようなもので楽しくないぞ。この写真家はワイズ出版 から「 Tokyo Candy Box 」、ヒステリックグラマーからは 「 hysteric Five 」と、また趣きの異なる作品集を上梓しており、その引き出しの多さにも、東川賞むべなるかな。 続いて広川泰士「TIMESCAPES」(東京都写真美術館 にて8日までやってます。)どこか演劇的ライティングの展 示空間である。この感じはそう、動物園の夜行性動物の部屋と同じだ。月明かり。でも煌々とではない。目をこらさ ないと作品がよく見えないんだな、これが。近寄るとこんどは自分の影がじゃまになるので、ちょっとは距離をとらざる をえない。(これも意図したものか、学芸員の方に聞いてみたい。) オープニングの作家スピーチで、時には命がけの撮影行を 続けるうちに闇のなかでものが見え、遠くのもの音が聞こえ てくるようになりました、と言われていたが、この見せ方はまさに写真家が体験した空と星、巨石しかない荒地に鑑賞 者を投げこみ秀逸なり。エジプトはシナイの岩山も味わい深いが、オーストラリアや南米大陸の奇岩は生理的に不安を 覚えるほど。手つかずの自然ほど、本来は反人間的なものだと思う。 長時間露光とばかり思っていたら、撮影のために特注した 8x10にて、昼の光で岩肌と風景を、月のない夜に星の軌 跡を撮って一枚のフィルムに移し込めたという。印象的なイメージだが、写真家は作家性で被写体をねじ伏せることは していない。一瞬、気が遠くなるほどに細かなグラデーションのシルバー・プリントの仕上げ方のセンスともども、ある 意思をもって節度をもつことを良しとしているような、作家の強くて繊細な人間性がなんとなく伝わってくる。スピーチの 最後にいまの世界情勢にも触れ、誰もが望んだ場所へ行ける時代になってほしいとコメントされていたが、この問題に 無関心な日本のアーチストが多いことに内心、憤りを感じていたわたしは、ちょっと感動しました。 最後に多摩川そばにオープンしたユニークなオルタナティブ・スペース<art & river bank >で催された伊奈英次「Watch」 (4.6-4.28)。彼はわたしの知る、思わずまいりましたと言いたくなるほど上手い写真家ベスト5のひとりだが、鑑賞者の高い 期待と、またそれを裏切らない彼の安定感ゆえに、評価上、ちょっとソンをしているように心ひそかに思ってきた。(危なげな ほうが魅力的に錯覚したりするもんです。ま、作品の本質とは関係ないことですが。) 監視カメラのあるシーンを写し取った今回の個展は、スマートな展示センスともども、どこか軽やかな疾走感があってうれし くなる。デジタルカメラで撮影し、Photoshopで修正、そのデー タをこんどは工房にてプロフェッショナル・ユースの機器を用いて置き換え、現像処理したとのこと。デジタル特有のクリアーさ、 それでいて奥行きもある奇妙な感覚世界が構築されている。あたかも監視カメラを通して認知する世界観のような・・ 作家によると、これまでネガフィルムを通して得てきたものが Photoshopの扱いにも、現像処理の際にも活用できることが分かったとか。現場の作家はデジタルも写真も使いこなして ゆくのだなと知り、それもまた、うれしさのひとつ。それにしてもなんと川辺の風と光が心地よいことか! 愉快、愉快。
|