ガレリアQとプレイスMで関美比古の写真展を見た。 個人的にはガレリアQの展示にこころを動かされて いる。早く逝った作家の、過去の作品群からの抽出 であるためプリントの大きさも焼き方も、撮影された 場所も違うが、作家のそのときどきの思念の痕を 追えるから。撮影、現像、選択・・・と、写真が撮られ た時間やそのあとに流れた現実の時間だけでなく かつて存在した作家の内的な時間に、いま、この 展示空間に立つ自らの時間を重ねる。

ゆっくり見直していて、冒頭の数点に日付けが焼き こまれているのに気づく。んん、71年?ではこの スナップショットは作家が旅した近年よりずっと以前 に撮られたというわけ? でも確か彼は70年生まれ なわけで・・・ モスクワに住んでいた小学生のときに 撮ったものなんです、とガレリアQにいた、かつての 彼の友人とおぼしき人が感慨ぶかげに言った。 すでに後年と同じ視点を備えていますよね・・・

現実には81年あたりに撮られた写真にカメラの不 都合で71との狂った日付けが刻印されたという。

これはなんという黙示だろう!鑑賞者が知らず知ら ずのうちに期待する、撮影時という起点の二重の 撹乱。かつて自らこの写真を選んで作品に仕立て発 表した作家は、阪神大震災の定点観測撮影の仕事 でも知られている。定点観測における撮影日時もま た、after earthquakeに派生する時間軸に取り込ま れてしまえば、何年何月何日という特異性はむしろ 埋没し、記号化してしまうだろう。

イマ、タダココニ、在ルダケ。

旅先で、震災跡地で、目前に投げ出された<場>の、 時間など無化しかねない圧倒的な力を、ひりひりと 感じとっていたのだろうか。けれど、誰よりも重層的 な時間を内側に抱えていたのも写真家その人であっ たように思う。そんな写真が残されている。

すみません、16ミリ映写機の都合がつかず中止で す。渡辺祥充の映画「伝承」を見にでかけたらのっ けにそう言われてしまった。月いちの定期上映ゆえ すでに4か月も見逃している。放浪しながら撮って いたなどと聞くと関心をもたずにはおれない写 真家 トヨダヒトシも一緒だが、彼など来月はNYに帰って しまう。当惑してると、それではビデオになります けど僕の部屋で見ますか、と言われた。そんなこん なで初対面の人、実は早世した映画作家の弟さん の部屋に唐突にあがりこむことに。

200時間分のフッテージを45分に編集したこの映 像作品はどこか映画創成期のモンタージュ技法を 思わせる。凝縮という言葉がふさわしい、緊迫した イメージの連鎖。アジアにおける仏教の潮流を追う ようにタイ、インド、チベット、ネパールなどで撮影さ れているがドキュメンタリーではなく、ときにはシュ −ルレアリスティックなシーンも含んだ映像詩の態 をとっている。印象的なのは壁画や彫刻の細部へ のこだわり。<かたち>への作家の興味はそこに より深くて大きな、思想さらには現象そのものの発 露を見出していることに拠るだろう。

自費製作へのこだわりゆえに9年の歳月をかけて 行われた撮影と編集作業を終えて92年に急逝。 残された絵コンテやメモを見せていただいたら、か の五輪塔にも象徴される地、水、火、風、空の五大 要素を映像構成の立脚点とすると記してあった。

僕が彼だったら、お願いだからフィルムで見てくれっ て叫んだろうな。隣でトヨダがつぶやく。何がお兄 さんをそんなに駆りたてたんでしょうね?
「そう、まるで何かに憑かれたようでした。」
これからも上映を続けられるのですか?
「僕はもうじゅうぶんかなとも思うのですが。 どうでしょうかね・・・」 今夜の我々みたいに見たい人がいる限り続けてもよいのではないでしょうか、と応えると、弟さんは静か に笑った。それにしても・・・

「映画の中でさ、いつもずっと風が吹いていたね。」
「うん、吹いていた。」

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