作品をずっと追っかけて見ているアーチストにアン・ハミルトンという美術家がいる。もともと織物を学んだ出自のせいか、素材にファブリックを用いたり、繰り返し行われる行為に言及したインスタレーション+パフォーマンス作品を数多く発表している。

93年にNYのDIA で馬のたてがみを床に敷きつめた「tropos」を発表して以来、確固たるステイタスを得ているが、日本ではなぜかジェームズ・タレルほどに見る機会がない。だが実は、神奈川県田浦のアキラ イケダギャラリーで、15万本 (!) の備長炭を使ったインスタレーションが5月中旬まで展示されている。(現在は予約者のみに公開。)かつて軍港だった田浦(現在もあたりは自衛隊の施設)の歴史や環境を取り込んだ、サイト・スペシフィックなプロジェクトだ。

まだブレイクする前、フェミニズムの視点で催されたグループ展に出した作品を見たことがある。木製のふるびた机に白いYシャツをうず高く積みあげて造形としたもの。ここにも繰り返しの行為、労働、それに従事する女性や有色人種労働者への言及があるのだが、その一方で、Yシャツの襟にさりげなく作家が描き加えたゴールドのラインや、シャツの山自体がつくるかたちのリズムに、繊細さと緊張をはらんだ美を感じたものだ。

あれは98年だったか、やはりNYのPS1ミュージアムのリニューアル・オープニング展、招待客でにぎわうなか、どこに彼女の作品があるのかわからずうろうろしていたら、受付テーブルの後ろの壁の、天井と壁のすきまから、じんわり水がにじんで一粒の水滴となり、白いしっくいの壁をつたいおちてゆく、それが彼女の作品だった。そのことに気づいた瞬間、パーティの喧騒は遠のき、空気の密度が増したように思う。ポエジーが降臨したのだ。

(99年のヴェネチア・ビエンナーレでは、このアイデアを発展させて、水の代わりに赤いパウダーを使うことになる。)

確かに、広い空間や仕掛けの大きな企画と勝負するには作品も作家にもかなりの力量 が必要だ。アン・ハミルトンやタレルも昨今はスケールの大きな作品が目立つ。しかし、神は細部にこそ宿り給ふ、とまで言わないまでも、優れた作品が立ち上げるものは眼には見えぬ <場>の強度であり、共鳴する感受性の伽藍であって、たとえ小さくてもよく響く声をもった作品に出会いたいと思うのだ。東京都現代美術館で催された「森万里子ピュアランド」展を見て、はげしくそう思った次第。