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068/現代詩手帖 2005年9月号 現代美術のスナップショット テキスト:倉石信乃
私は選ばないという態度を選ぶ
本山周平『世界1』 |
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選択しないことは、写真家の夢または悪夢であるように思われる。実際には、撮影、現像、プリント、展示、造本というそれぞれの諸段階に、多くの選択と判断が絡みついているから、夢の実現はただちに、ただの惰性に滑落する危険を孕む。ホームページ上で自作を公開する写真家たちは、多くの選択と判断の機会を省略する。まさしくまばたき=クリックのように次々と更新されていく感覚をより保持することが、むしろ良き画像形成の条件でさえある以上、始めから当の危険を無視しなくてはならない。一枚の画像に対して、一瞥から凝視に至る時間の幅は短縮され、あとには長い保存の時間が残される。写真はアーカイヴの中に常態としての自分自身を見出す。
Bankart Studio NYKで開催されたフォトグラファーズ・ギャラリー横浜展(6月25日-7月10日)に出品された本山周平の『世界1』は、2005年4月1日に撮影されたすべての写真を、コンタクト・プリントのシートで展示した。壁面に垂直に低く取り付けられた平らな台の上にシートが載る、その展示方法は、展示台やガラスが、作者の意図以上にフレームの物質性を伝えているように思えた。同時期に発表された分厚い文庫版サイズの写真集は、見開きの頁を黒いベタの帯が横断し、右頁にのみ一点の写真を収録した。コンタクト・プリントの「雰囲気」を模したこのレイアウトによって、逆に「すべての写真」を提示したいという欲求が、実際の展示よりも凝集力をもって見えてくる。
本山が写したのは、先の沖縄戦で破壊を免れた世界遺産・中城城址とその近傍に立つ、建設途中で放置された廃虚・中城高原ホテルである。新旧の廃虚はそれ自体余りにもフォトジェニックであるために、もはや「作品化」が困難な被写体の典型である。従って作者が「選ばない」と決めたのは、困難な作品化への迂回として極めて真っ当と思える。本山は、ここ数年、『SMタブロイド』と題した自費出版の写真集を立て続けに刊行し、すでにいま十四冊を数える。それらの多くは訪れた場所との身体的交渉の痕跡をとどめたスナップショットである。『世界1』は本山の「方法」がこれまで以上に鮮明に形を成しているが、選ばないというのはむしろ態度、倫理に関わるものだ。それぞれの場所との交渉は、いわゆる「作者性」の確立以前に、その時々の距離感を写真家に要求する。この要求に対して作者はおそらく、従順であるべきだと考えている。
本山が具現化した「選ばない」という様態は、デジタル写真をひたすらウェブ上にアップし続ける作業とはかなり位相を異にし、反時代的にも見える。「私は選ばない」という言表は、あの「クレタ島のパラドクス」と同様に、決定不可能性・自己言及性に写真家を導く。多くの非選択的な様態を希薄に生きているいまの写真家たちが、このパラドクスをどこかで看過しつつ先へと急ぐのと対照的に、本山は「非選択の選択」というパラドクスの核心、要するに「写真とは何か」という核心に愚直に歩を進めた。(本山周平『世界1』フォトグラファーズ・ギャラリー、6月刊) |
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