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第10回 photographers' gallery講座

「写真を編むこと」
講師:古屋誠一(写真家)・小原真史(映像作家・写真批評家)・北島敬三(写真家)
司会:斎数賢一郎

2007年2月3日(土) 18:00〜

講座概要



 昨年10月に、古屋誠一写真集『Mémoires1983 Christine Furuya - Gössler 1983 / Seiichi Furuya 2006』が出版されました。タイトルが示すとおり、この写真集におさめられた写真はすべて1983年に撮影されたものです。ある写真が、しばらく時間を置いた後で再編集される。そこには、記憶と記録、記憶と時間、記憶とアーカイブなど、さまざまな問題が含まれています。この講座では、写真集『Mémoires1983』の全ページをプロジェクションした後、古屋誠一氏にその制作過程を具体的にお聞きしながら、小原真史氏と北島敬三氏をまじえて「写真を編むこと」の時間的、空間的な意味について考えていきます。

「写真を編むこと」小原真史



 写真家が自分の撮った写真を自分のものにする時とは一体いつなのであろうか?撮影した時か、それを現像し、引き伸ばした時か、あるいは撮りためたものをまとまった形で発表した時なのか?
 カメラという外部の機械が捉えた映像を自分の「作品」であると言うには、ある種の困難さが伴われるのかもしれない。写真は「人為によるものではない」(ロラン・バルト)がゆえに、所有しようと願っても、絶えず指の先からこぼれ落ちてしまうような不可解な物質なのだ。古屋誠一はそのような困難を引き受けてきた写真家であり、「写真を撮る者」であるよりも、自分の撮ってしまったものを「再び見る者」であることによって、「手におえない」ような写真群をかろうじて自分のものとしてきたのではないだろうか。写真を編む際にはその取り扱いに注意しなければならない。

講座報告


 「写真を編むこと」に焦点を当てての今回の講座は、必然的に「写真を見ること」への重要な発言が飛び交うものとなりました。「自分が何者であるのかを知りたい」との古屋氏の発言は写真集という選択・配置の発表形態を重視する姿勢から発せられたものであり、物質として定着されていながらも、常に蘇生を試みようとするイメージの「物の怪」性こそが古屋氏を新たな写真集制作へと駆り立てることが窺われました。また、写真がもつ複雑な時間構造への小原・北島両氏の言及からは、由緒正しい起源をもつ過去を我々は事後的に追認するほかないにもかかわらず、その過去の一点へと遡ることを許さないと同時にいかなる読み出しへも開かれている写真の独特な時制に、翻弄されながらも、常に挑み続ける古屋氏が露になりました。

米田拓朗




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講師略歴



古屋誠一 FURUYA Seiichi

1950年生まれ。写真家。東京写真短期大学(現東京工芸大学)卒業。72年からヨーロッパ各地に転住、87年以降オーストリアのグラーツを拠点に活動。オーストリアに隣接する国々の国境地帯やベルリンの壁など、さまざまな「境界」を問う作品を制作。フォルム・シュタットパルクの活動や、『カメラ・オーストリア』誌の編集にも参加している。おもな写真集に『Memoires 1978-1988』など多数。


小原真史 KOHARA Masashi

1978年愛知県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。多摩美術大学大学院修士課程芸術学科修了。2005年、「中平卓馬試論」で第10回重森弘淹写真評論賞受賞。監督作品にドキュメンタリー映画『カメラになった男―写真家 中平卓馬』がある。ヴァンジ彫刻庭園美術館で開催される古屋誠一写真展「Aus den Fugen」展キュレーターを務めながら、現在、古屋誠一のドキュメンタリー映画を撮影中。


北島敬三 KITAJIMA Keizo

1954年生まれ。写真家。1981年、日本写真協会新人賞、1983年、第8回木村伊兵衞賞を受賞。主な写真集に『写真特急便 沖縄』(全4巻、1980)、『NEW YORK』(白夜書房)、『A.D.1991』(河出書房新社)、『PORTRAITS+PLACES』(photographers' gallery)など。

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