.
 documents
 
 
トヨダヒトシ「3SLIDE SHOWs」

 >> Information:イベントについて  >> イベント会場:上映の様子 >> アーティスト・トーク
 

 8月16日に世田谷美術館で催された野外でのスライド・ショーに始まり、pgでの6回にわたる上映で、延べ335人の観客を動員しました。関係者に心から感謝いたします。  上映に続くアーチスト・トークでは、ラジオでふと耳にして、図書館でのチラシを見て、足を運んでくださった方々とのなごやかな交流の他、プロの見手から貴重なるご意見をいただきました。なかでも川崎市民ミュージアム学芸員深川雅文氏からは以下のようなコメントをいただきました。(※後日、pg-webサイト内「photo eyes」にまとめられたものより転載させていただきました。)

 ニューヨークはブルックリンの自宅アパートの前の庭の光景、その土の上で繰り広げられるナメクジやアリなどの生物の振る舞いに向けられたトヨダの執拗なまなざし。日常性というより、ほとんどの人が見過ごしてしまうミクロの世界の出来事を、ニューヨークという大都市の片隅で、これほどまでに撮り続けた男が一体何人いただろうか。そうした出来事から、身近の生活の光景、身の回りの知人・友人のショットなど、生活の時間も作品の中にはちりばめられている。しばしば現れる、中庭に置かれた円形の鏡に映る四季折々の光景は、自然と宇宙の運行を感じさせる。幾度となく現れる雪の光景は、しばし天空の宇宙のイメージへと広がりを見せることもあった。アーミッシュの人々と会うための旅の時間、日本での恋人との不意の出会い、迷い子のアザラシとの出会い、そして、パレスチナの新聞記事や学校内での発砲事件の報道記事のインサートは、時事的な社会の蠢きを記憶に呼び起こす。(略)

 トヨダの映像作品では、たとえば生物の時間、人間の時間、社会的時間、自然の時間、地球の時間といった多様な時間の相が見事に織り込まれ、共鳴しながら、ミクロコスモスとマクロコスモスの間を往き来する視覚的な旅を現出させたということである。(略)

 トヨダは俳句にも興味があるという。それを知る前に、実作品を体験するなかで、イメージを言語的なものへと錬金術的に転化させるような意志を強く感じさせられた。ルイス・ボルツは、かつて自らの作品を「映画と小説の間にあるようなものだ」と述べたことがある。その言葉を少し借りるとしたら、トヨダの映像作品は、「映像と短詩型文学の間にあるような」ものなのかもしれない。


 もとより写真は考察すべき、数多くの時間をめぐる問題を内包していますが、作家が必ず立ち会う、ライブ・パフォーマンスにも比すべきトヨダのスライド・ショーは、観客と作家が同じ時間を共有することに特徴があります。また、プリント、その他の方法でイメージを物質化することから逃れようとする姿勢については、写真評論家の飯沢耕太郎氏から、アーミッシュの人々によせるトヨダの関心が、イコンを拒否するアーミッシュの信仰の非具象性に通じてゆくとの指摘がありました。興味深い指摘です。アーミッシュの日常生活も、トヨダの撮る写真も、共に表面上は具体性に満ちている点においても。

 俳句もまた、表面上は徹底的な観察と具象性を基本としています。しかし、詩が詠まれた瞬間にすでに意識の変容がはじまり、日常は不安定に非日常とまざりあい、見る者を動かし異なる次元へと攫ってゆきます。日常という、積み重ねられる時間の重みにこだわるトヨダですが、彼のまなざしのうちに、すでにそうした異化の力がはいりこんでいるのでは、と私自身、 考えを新たにできたアーチスト・トークのひとときでした。

北折智子

  
 
 
トヨダヒトシ「3SLIDE SHOWs」
 >> Information:イベントについて  >> イベント会場:上映の様子 >> アーティスト・トーク

<< documents:一覧
<< レクチャー&シンポジウム
| site map | access | contact |
Copyright (c) 2001- photographers' gallery, All Rights Reserved.