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phtographers' gallery企画(担当:笹岡啓子)
SATO MAKOTO 「SELF PROJECTION」
2002年3月2日(土)
協力:坂川直也
映画監督・佐藤 真が自身の作品を自らの「手」で解体する一日限りの「投影会」。会場にて佐藤監督撮影の「東京写真」も併せて展示。
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上映時間
1. 13:00 - 13:25 「市場最大の作戦」(約25分)16mm、ビデオプロジェクター、テレビ
2. 13:35 - 15:05 「写真で読む東京」(約90分)16mm、8mm、ビデオプロジェクター、テレビ
3. 15:15 - 16:00 「我家の出産日記」(約45分) 8mm、ビデオプロジェクター、テレビ
4. 16:00 - 16:40 監督トーク
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「SELF PROJECTION」に寄せて 佐藤 真
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ズッコケたり斜めに構えたりが私の性癖ではあるが、最近とみに「映画」からズレ始めている。「SELF AND OTHERS」で憧れの写真家と親しく対話をする機会に恵まれたり、「まひるのほし」から「花子」への一連の「境界線上芸術」への関心を通 して、多くの現代アートの作家と出会って挑発された影響が多分にある。ただし、決して映画という制度を変革したり、映画界の偏狭さを揶揄しようなどという野心は微塵もない。ただ、ズッコケついでにたまには変わったこともやってみたいと思ったまでのことだ。
なにしろ、仕掛け人が敬愛する写真家・北島敬三である。それもまさかと思った場所で偶然出会った立ち話で、自分たちのギャラリーの一周年記念に上映会をやりませんかとのお誘いである。ただでさえ退屈な拙作を、今後ひとつの伝説を生み出すに違いない「フォトグラファーズギャラリー」で上映するだけでは、せっかくの自主ギャラリーの名折れとなる。そこで思いつく限りの映像てんこ盛りの投影会を苦し紛れに思いついた。格好だけはインスタレーションという代物だ。実は、これが一度やってみたかった。かくして、酒を飲んだ勢いで、随分と大々的にやるはめになった。
簡単に言えば、自分の作品に未編集素材を投影して解体してしまおうという映写 会だ。体の良い教養番組になり下った「写真で読む東京」(NHK・ETV特集)を、ほとんど使い切れなかった16ミリフィルムの風景ショットと8ミリフィルムのメーキング(この素材をテレビ放映するしないでNHKのプロデューサーと大喧嘩になった)とで完膚なきまで自己解体してしまおうとフツフツと悪意が首をもたげてきた。このテレビ作品は、私の東京論のひとつの一里塚のつもりだったのが、NHKの老若男女に分かりやすくという愚民思想の壁によって何重にも包囲され、後退戦を強いられた悔恨の思いがある。これを機に未編集素材をいじって、再起を期するよすがとなればと思っている。
「市場最大の作戦」は青森県の県立美術館整備室が主催の「アートキッズワールドあおもり2001」で作った映画である。私は、この青森で、北島一派と呼ぶべき、企画者の笹岡啓子や坂川直也と出会って、連日、酒を飲み明かしたのだ。このアートイベントで私の担当は「駒どり親子の大冒険」と題したワークショップであった。青森市内の小学生たちと駅前市場を舞台にして16ミリ映画を制作する。そこでヤノベケンジやPHスタジオが造りあげた現代アートを舞台に、子供たちが時に人形やモデルに扮して駅前市場を疾走するというストーリーを思いついた。もちろん、そのスピード感は「駒撮り」によって簡易なアニメ仕立てで造形される。そして、上映会は、駅前広場に造られたリンゴ箱コロシアムの中で、参加した子供たちの生演奏による伴奏つきで中野渡尉隆の指揮の下に上映された。この映画「市場最大の作戦」を「駒どり親子の大冒険」のメーキングビデオと同時平行しながら上映してしまう。
また、テレビ東京「ドキュメント人間劇場」で放映した私の私的ドキュメンタリー「我家の出産日記」(二人目の娘・萌の出産ドキュメンタリー)と極私的8ミリ映画「我家の出産日誌」(一人目の娘・澪の出産記録映画)をインスタレーション的に同時上映もある。
なにせ、名うてのフォトギャラリーでの上映会である。純白の壁を貧弱な映写 だけで埋められるはずもなく、私が撮り散らかした写真も展示するはめになった。最早、毒を食わば皿までの心境である。実は、乏しい問題意識と貧相な写 真テクニックで撮りためた「東京写真」がサービス版のカラープリントでゴミの山ほどあるのだ。しかし、もしかすると北島一派の鋭い批評眼によってそれらの写 真群は一蹴され、申し訳程度に数枚貼り出されるだけなのかもしれない。だが、それでも私にとっては立派なはじめての「写 真展」である。
なにしろ、「SELF PROJECTION」である。場の雰囲気と観客の怒号やスタッフの罵声によって、私のささやかな野望は見事に打ちくだかれるかもしれない。また、図に乗って、自らの映像作品を解体するだけでなく、すべて何やら訳の分からない<イメージの残骸>の山を築くだけになるかもしれない。あとは、運を天にまかせるしかない。ひな祭りの前夜の余興になればもっけの幸いである。 |